たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

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J-POP界には優れたアーティストがたくさんいます。それぞれが独自の世界を築いていますが、椎名林檎の存在は、その中でも特筆すべき存在でしょう。彼女のデビューからの軌跡を辿りながら、音楽の世界観や歌手としての魅力に迫ってみたいと思います。

音楽活動の原点はどこにあったか

彼女は音楽活動の原点に「15歳の女の子の死」を挙げています。これは、彼女が15歳のときに目にした新聞で自分と同じ歳の女の子が自殺した、という記事を読んだことから、強いショックを受けたと言います。

自殺した女の子と自分とは何が違ったのだろう、自殺した女の子の背景を考えるうちに自分と表裏一体のように感じたと言います。(

彼女はその女の子に思いを馳せながら、自分が生まれて間もない時期に手術によって命を助けて貰った立場では、自殺するという発想自体が許されることではないという思いと、自分は生きていく以上、この女の子の気持ちを現在進行形で考え続けることが、J-POPの世界へ飛び込もうと思ったきっかけだったと話しているのです。

「バレエは母のすすめで10年以上レッスンを受けていましたが、結局は身体のバランスを矯正する痛みを克服できずにやめました。そうして打ち込んできた芸も諦め、学校でも、父や母ともうまくいかない。そんな思春期に、自分一人で責任を取れる場所に思えたのが、譜面の中だけだったんじゃないでしょうか。」(

この彼女の発言からもわかるように、思春期に自分のありのままの感情を表現できる場所は唯一譜面の中だけだったということなのでしょう。

息子を持つ1人の母となった彼女は、この女の子のことが心にあり、「『女の子』という言葉の響きだけで涙が溢れる時があります。女性という生き物は、『勘』で生きていると思うんです。でも少女の頃はまだ知恵も経験も乏しいから、うっかり命を落としてしまいかねない。それをなんとかしたいという思いが、結局いまでも私のものづくりの基礎なんでしょうね。」()と話しています。

そういう思いを持ち続けながら作り出す彼女の音楽は、ことばの選択にしても、MVに表す世界にしても、彼女の命を吹き込むようなものなのかもしれません。

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常識を打ち破る、映像美が椎名林檎そのものだった

 

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