たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
J-POPの歴史の変遷を語る上で外すことの出来ない存在に、サザンオールスターズがあります。1970年代のデビュー以降、2020年代を迎える今なお、圧倒的存在を放っている国民的バンドでもあります。今回はこのバンドと、その中心的存在である桑田佳祐の音楽や人物像について掘り下げてみたいと思います。
サザンオールスターズの結成
サザンオールスターズ(以降、サザン)は、1975年、青山学院大学の音楽サークル”BetterDays”のメンバーだった桑田佳祐らによって結成されたのが始まりです。
1977年、ヤマハ主催によるコンテスト「EastWest」に出場し、入賞を果たすと同時に、桑田がベストボーカル賞を受賞。ビクターのレーベルである”Invitation”から、1978年に『勝手にシンドバッド』の楽曲でメジャーデビューを果たしました。
結成当初はメンバーの入れ替わりもありましたが、1977年以降は、現メンバーであるボーカル・ギターの桑田佳祐、キーボード・ボーカルの原由子、ベースの関口和之、ドラムスの松田弘、パーカッションの野沢秀行に、ギターの大森隆志(2001年脱退)を加えた6人で活動をしていました。(現在は大森を除く5人)
デビュー曲の『勝手にシンドバッド』というタイトルは、前年(1976年)に流行った沢田研二の『勝手にしやがれ』とピンク・レディーの『渚のシンドバッド』から取られたものというエピソードがあります。
ふざけたようなタイトルや、曲想と歌詞の内容、そしてその歌詞を早口で捲し立てるように歌うパフォーマンス、その頃には珍しいTシャツ姿に短パンなどのラフなステージ衣装に、多くのリスナーが驚いたのは言うまでもありません。それまでのロックバンドのイメージを打ち破るような独特のパフォーマンスは、大きな話題になりました。
同年、出された1stアルバムのタイトルも『熱い胸騒ぎ』というもので、タイトルだけ見れば、「何?」「どういうこと?」という、桑田造語ともいうべき言葉に、単なる目立ちたがり屋という印象を持った人もいたかもしれません。
しかし、ロックバンドの多くがテレビ出演に背を向ける中、サザンは積極的にテレビ出演をして、自らの存在を多くのリスナー達に印象づけました。
翌1979年に出された『いとしのエリー』は、それまでの楽曲とは全く違う正統派のバラード曲で、切なく甘い歌詞とメロディーにサザンの印象を大きく転換させた曲と言えます。
同曲は、100万枚を超えるミリオンセラーを達成し、同年、同曲で紅白歌合戦に初出場を果たしました。
こうやって、サザンオールスターズは、どこにもない独自のバンドとして活躍を始めたのです。
桑田佳祐、というアーティスト
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