※いつも書くのですが、コンサートレビューは、全体の感想になります。
今回のライブの詳しい評論は、7月6日掲載の青春出版オンライン連載記事『人生を変えるJ-POP』に掲載されますので、そちらをご覧下さい。
6月26日、私は友人と松田聖子のライブ『My Favorite Singles&Best Songs』に出かけた。
去年暮れに辛く悲しい出来事があった彼女が今年も歌うことを選択してくれたことに心から感謝する。なぜなら、彼女は私たち聖子世代のシンボルだからだ。
1980年、山口百恵が引退するのと入れ替わるように出てきた彼女の快進撃は今でも記憶に新しい。
時代が入れ替わるかのように松田聖子という人は私たちの前に現れた。
2018年から毎年彼女のライブに行っているが、何が楽しいかって、「ああ、この曲も知ってる」「ああ、この曲もあった」
これもあれもそれも…
そんなふうに歌う曲、歌う曲、耳に馴染んだ曲ばかりだ。
こんな歌手が他にいるだろうか、と思うほど、彼女の歌はその時代、その時を席巻していた。
彼女の歌と共に、聖子世代の私達の一番キラキラとしていた時代の記憶が蘇る。
これが白髪混じりや髪が薄くなっでも聖子親衛隊が健在している証拠だ。
そして、女性のファンが圧倒的に多いのも、彼女が男女を越えて、時代のアイドルだった証拠である。
ステージはいつもと変わらない、キラキラの可愛いセットが組まれ、ブリブリの衣装を着たとびきりの笑顔の聖子スマイルとパワフルボイスで幕を開ける。
それを見るたびに、ああ、今年も彼女は健在。そして何も変わらない彼女を見て安心する。
しかし、今年は少し違った。
彼女の姿を見ながら、去年のことを思い出した。
奇しくも一年前のちょうど同じ日、私は同じ友人と同じホールで彼女のコンサートを観ていた。
あれから1年。
あの時、彼女にこんなに辛いことが待ち受けていようとは思いもしなかった。
人生は過酷だ。
やっと育てあげた娘をこんな形で失うとは誰が想像しただろう。
歌手松田聖子は、お世辞にも私生活が平坦だったとは言えない。しかし、その中でも子供を生み、育て、母になるという人生は、様々なことを度外視しても、人間として幸せな部分でもある。
母という存在は唯一無二であり、絶対の存在だからだ。
その幸せが今年の彼女にはないという事実が余りにも人生は残酷だと思わせる。
アコースティックコーナーの前、最初のステージの最後に神田沙也加さんのデビュー曲『ever since』を歌った後、涙が止まらなくなった彼女の姿は母親以外の何者でもなかった。
普通なら、とても歌えるような状況ではなかったかもしれない。それでも歌っている間は、声が途切れることなく、しっかりと歌い上げるところは、やはり松田聖子というトップアーティストの姿だ。
どんなに辛いことがあっても彼女は歌い続ける。
ファンがいるからステージに戻ってくる。
アコースティックコーナーから、後半のヒット曲のメドレーまでを怒涛のように歌い走り続ける彼女を見て、来年も変わりなく彼女の歌声、ステージ姿が見れることを切望した。
彼女は永遠にアイドルでいてほしい。
永遠に松田聖子として、私達世代の象徴でいてほしい。
還暦を迎えた彼女が、変わらない姿でミニスカートを履き、ステージを走り回る。
それが、私たち世代の元気の源なのだ、と、『夏の扉』で彼女と一緒にパフォーマンスする初老の男性ファン群を見ながら思った。
来年も彼女のコンサートを観に行こう。
そうやって私達も走り続ける。
そう思った。