ある歌手のレビューについて一部のファンが掲示板にて批判しているということと、そういう状況なので、その歌手についてのレビューを書くのを辞めたらどうかという進言がありました。

そのことについて、「文章を書く」人間として考えを書かせて頂きます。

 

先ず、「文章を書く」という行為も含めて、日本には「表現の自由」という基本的人権が憲法で保証されています。

これはアーティスト、クリエイターという「何かを表現する」という職業についている人達にとって、また、職業でなくともそれらの行為をしようとする人達の権利を保証するものであり、この権利が保証されているからこそ、日本社会では自由に発言、発信することができます。(昨今の香港における騒動はこの「表現の自由」「思想の自由」という権利についての闘争です)

当然、「文章を書く」仕事をしている私にとっても、その人権が保証されているからこそ、安心して自分の考えを発信することができるということになります。

 

レビューは私が今までの自分の音楽の経験と知識に基づいて歌手の歌や音楽を分析して書くもので、それが正しいとか間違っているとかの基準に当てはまるものではありません。そのような基準でレビューを批判すること自体が、提供している私から言えば、論外であると感じます。

 

「批評」という行為は、あるものに対する自分の考えを、知識や情報などに基づいて分析、発信する行為であり、そこには批評する人間の考えが大きく投影されるものです。

その考えについて批判することは自由ですが、批判によって、こちらが発信を辞めるという行為には至りません。

またその考えが「正しい」とか「間違っている」とかいう基準を持って、批判することも読者の「表現の自由」です。

 

私は音楽を評論する評論家の一人であり、ミュージック・ペンクラブに所属した時点で、音楽ジャーナリストの一員として社会的立場を担う人間でもあります。

ミュージック・ペンクラブの活動の中に、「広く日本の音楽を世界に知らしめる」「優れた音楽を多くの人に知って貰う」という活動主旨があります。また、そういう主旨に基づいて多くの批評がされています。

私が書くレビュー記事も、自分の分析に基づいて多くの方に取り扱った歌や歌手を知ってもらいたいという主旨があります。

ファンの方には当たり前の情報も、広い社会の中では知らない人の方が多いものです。またファン以外の人にその歌手の良さを知って貰うという行為が広く歌手の活動を後押しするものになると考えます。

 

ジャーナリストは「文章を書く」という行為において、自分が書いた文章については責任を持ちます。

ですからあからさまな個人的批判行為や、誹謗・中傷行為等については書いた人間の立場を明らかにすることを要求する権利を持つことになり、場合によっては法的対応をする、という態度を取ることで、自分の地位と権利の保全に動くこともあります。

 

私が書くレビューに関して、私が書いたからと言って、それが正しい評価であり、正解であるということではないということを予めお伝えしておきます。

批評は、個人的見解を述べたものであり、誤解を招かない為にも書かせて頂きますが、私が書いたこと、分析したことが全て正しい、正しくない、ではなく、私はこのように感じる、ということであって、一つの見解を述べたに過ぎません。ですから、その曲に関する感想というものは、その方その方で異なるのが当然であり、私のレビューと違うからと言って、どちらが正しいというものでもありません。

 

ご進言くださった方は、今後はその歌手についてレビューを書かない方がいいというご意見もありましたが、それも当てはまりません。

今後も私は音楽ジャーナリストとして、書きたいと思った歌手についてのレビューを書かせて頂きますし、当然、そこには歌を通して私が感じる歌手の方の印象や、音楽性についての考えを書かせて頂くということになります。

それが不愉快だと感じられる場合には、私のレビューを読まないという選択をして頂ければ幸いに存じます。