『飛行船』はアルバム『球体』の中で私が一番好きな楽曲だ。
歌とは、音と言葉の世界。その二つのアイテムによって、如何にその世界を描き出すかということ。
三浦大知の場合はこれにダンスが加わる。
「THE FIRST TAKE」は歌手の一発撮りの世界だ。
今回、彼はバックダンサーと共に、このパフォーマンスの世界に挑んでいる。
「歌いながら踊る」という行為は、非常に高いパフォーマンス力を要求される。
それは多くの場合、どうしてもダンスという「動」のものに対し、「歌」というものがおざなりになりがちだからだ。
人間の感覚として、2つのことを同時に行うというのは、どうしても片方のパフィーマンスに偏りがちにならざるを得ない。そうなると、どうしても動いている方に意識が偏りがちになる。
その為、「踊る」という動作と「歌う」という動作を同時にやるには非常に高いパフォーマンス力が要求されるのである。
私はダンスの経験はないから、「踊る」という行為をしながら「歌う」ということをするなら、「歌う」という行為を徹底的に鍛え、どんなに体幹が動いても「安定して歌える」という状態にしておくのが、高いダンス力を発揮するのにいいように感じている。なぜなら、歌の場合、体幹さえしっかりしていれば、基本的にどんな姿勢でも歌うことができるからだ。
即ち、体幹の軸は、身体の深いところにあって、表面の筋肉にあるのではない。特に歌を歌うための筋肉は身体の内部の深いところにある。それゆえ、しっかりとそこで歌うスタイルを身体に覚えさせておけば、どんなに身体がブレようと歌うことが出来る。
この理屈は言うほど容易いことではない。
しかし、これを見事に体現するのが三浦大知である。
そして、近年、歌のパフォーマンス力が非常に向上したと感じさせるのだ。
その1番の原因は、彼のファルセットだ。
私が彼のパフォーマンスを初めて生で観たのは、2017年10月の「朝日ドリームフェスティバル」だった。
この時、私はそれまで名前しか知らなかった「三浦大知」という人に初めて触れたのである。
この日、私は自分の好きな人のステージを観に行っていた。前から20列目ぐらいのサブステージ真正面の位置だった。
そして彼の楽曲もパフォーマンスも何も知らないまま、彼のステージを観たのである。
この時の印象は今でも強く脳裏に残っている。
ダンスが凄いというより、私は彼の会場全ての観客を自分の音楽の世界に一瞬で引き込んでいく力に驚いたのだ。
彼の楽曲の何も知らない観客達を、短時間に見事に自分の楽曲へ引き込んでいく。それも参加させる形で。
それが出来るのは、彼が自分の音楽、自分の世界というものに自信を持っているからに他ならない。
「三浦大知の音楽に触れていってください」「三浦大知と音楽で繋がりましょう」
彼は「音楽」というものを前面に出して、観客と繋がっていこうとする。
「音楽」
即ち、「音を楽しむ世界」
これを彼は見事に体現する。
この日、私が彼のパフォーマンスの中で唯一、気になったのがファルセットだった。
確か『ふれあうだけで』を歌ったと記憶しているが、ファルセットになった時、ガクンとボリュームが落ちて、声が前へ飛んで来なくなった。
激しいダンス曲の後のバラード曲だったので、特に印象に残っている。
確かに多くの歌手がファルセットの部分になると声が細くなり、ボリュームダウンする。
ありがちなことだが、彼の他の楽曲のクオリティーがあまりに高かったが故に、このことだけが強く印象に残ったのである。それから、私は彼の歌に注視するようになった。
ファルセットを使う歌は彼の場合、それほど多くない。だから、いつ、彼のファルセットが安定したのか、ボリュームダウンしなくなったのか、私にはこの楽曲から、という記憶を今、明確に思い出すことは出来ない。
しかし、近年、彼の歌唱力が非常に伸びていることだけは確かである。
声の伸びも透明度も年々、増している。
これはコロナ禍中でも彼が弛まず歌の鍛錬を続けていた賜物だと感じる。
この飛行船でも、前半の力強い歌声の中のファルセット部分も、後半の踊りながらの歌唱力も、どの部分を切り取っても、彼の歌には一切のブレがない。
いわゆる、「歌の芯」が非常に安定しているのである。
三浦大知といえば、どうしてもその高いダンス力に目が行きがちになるが、実は非常に優れた歌い手である、ということが、彼の音楽の世界をしっかりとしたものにしている。
後10日余りで、私は友人と一緒に彼のステージを観にいく。
初めて三浦大知を見る友人が、どういう反応をするか、非常に楽しみだ。
きっと、一瞬で彼の魅力に嵌っていくだろう。
その瞬間を見てみたい。