三浦大知が先日の『飛行船』に続いて『燦燦』でもTHE FIRST TAKEに出演したのを聴いた。

ちょうど6月8日はこのCDの発売とあって、このところ、彼は音楽番組に頻出している。NHKの『SONGS』『CDTV』をはじめ、ちょうどツアー中ということもあって、この歌はかなり歌い込まれている。

そして、この『燦燦』で彼は、さらに歌が上手くなった、と感じるのだ。

それは、歌声の色彩が非常に明確になったということ。

 

THE FIRST TAKEは、歌手の一発撮りがコンセプトだ。

即ち、やり直しはない。

今まで何度も彼のライブを観に行ったが、いつも非常に完成度の高いものを見せてくれる。

確かに歌も上手い。しかし、それでもファン以外の多くの人の印象は、きっと彼は「凄くダンスの上手い人」という印象だろうと思う。

私はダンスは専門外だが、おそらくダンスで彼の右に出る人は、日本の芸能界にいないのではないだろうか。

それぐらいのことは、素人目にもわかる。

 

人間の感覚は、視覚の方が聴覚より勝る。即ち、彼のパフォーマンスを見ると、殆どの人は、視覚から入ってくるダンスに釘付けになり、歌声の印象が薄れる、ということになる。

また、ダンス曲では、使われる歌声の種類も限られ、どうしてもシャウト気味の少し尖った歌声が使われる、ということになる。

だから多くの人は、今回の『燦燦』で、初めて彼の歌声を意識した人も多かったかもしれない。

しかし、ドラマの主題歌に使われるのは、2番からで、彼の歌声には、濃い色彩が漂う。即ち、ダンス曲に使われるのに似通った歌声の色彩感が漂う。

これに対し、このところ、歌われるフルコーラスは、明らかに違う印象を持つ。即ち、1番と2番で、使われている声が異なるのだ。

この歌声の色彩の違いが、THE FIRST TAKEでは、ハッキリ聴きとることが出来る。

 

「白い花 揺れる波…」から始まる1番では、非常に透明度の高い歌声が使われている。

特に今回のTHE FIRST TAKEに於いては、彼がいつもにも増して、非常に慎重に丁寧に歌い始めるのを感じる。

さらにどの音節もきちんと音色を合わせてきている。

即ち、言葉やメロディーに左右されることなく、歌のフレーズの色彩を合わせて来ているのである。その音色はサビの部分でも変わらない。

この1番は、ブレスを混ぜて歌うブリージングボイスのテクニックが多用されているように感じる。

ブレスを混ぜることで、歌声の色彩を消してしまう手法である。

これに対し、2番では、彼の明るめで甘い色彩の歌声が冒頭から使われている。

この歌声は、発声ポジションを固定して、顔の前面にパンと響きを当てにいくことで、ハッキリ色のついた歌声になる。2番には、どのフレーズもしっかりブレスを歌声に転換させ、息漏れしないように歌っている。

また、息の流れを縦に流すのではなく、彼は横に流している。横に流すことで、歌声の響きが横へ広がり、また、ピンと張った歌声になる。

歌声は息の流れを体の中で縦に流すか、横に流すかによって、広がりや響きを変えることができる。

彼の場合、息の流れを左右に引っ張ることで、ピンと張った歌声を作り上げているのである。

この張られた歌声は、一切の混じり気がない。

強く張られた糸のように、凛としているのである。

そして、サビの部分から、一気に最後の「大丈夫、ほら、見ていて〜」のフレーズへといく流れでは、一直線に歌声が流れ込んでいく。

この一直線の流れの歌声が、この曲に於いては、本当に見事なのである。

 

色彩の異なる歌声の歌い分けと、真っ直ぐにピンと張られた歌声。

これが三浦大知の歌声の魅力であり、また、上手くなった、と感じる。

 

出版社の連載で彼を扱ったとき、私は3年前に彼が天皇陛下の前で歌った『歌声の響』を久しぶりに聴き直した。

あの時の歌も海の波の色彩の変化のように、彼の表現力は見事だった。

しかし、今回の彼の歌声は、さらに磨きがかかっている。

これは、歌うことで、どんどん磨きがかかっていくことの現れでもある。

本番が多ければ多いほど、歌声は磨かれていく。

そう感じた。

 

これで、彼はダンス曲もバラードも歌いこなせる歌唱力を余すことなく身につけたと言っていいだろう。

今後、三浦大知の音楽の世界がどのように進化していくのか、非常に楽しみだ。

そして、私は、来週、彼の生歌を聴く。

彼の音楽の世界にどっぷり浸かるtために。

 

音楽は、「音を楽しむ」と書く。

私に文句なく、その世界を教えてくれたのは、三浦大知だ。

だから、彼のライブは外せない。