元宝塚トップスターの安奈淳のリサイタル『Bouquet d’espoir』に出かけて来た。
私は6歳の時からの宝塚ファン。
初めて観た組が雪組だったせいもあり、当時、トップスターだった真帆しぶきの出演作を数多く観て来た。
その頃、雪組の下級生には、後のトップスターになる男役汀夏子や安奈淳など数多くの若手がいて、子供心にプログラムを見ては、好きな人を見つけるということをよくしていたのを覚えている。
数多くの若手の中で、目に止まったのが安奈淳だった。
その頃、彼女はまだ研二か研三ぐらいだったと思う。
それから公演ごとに大きな役を頂いて、どんどん階段を登っていくのを、私はずーっと子供の頃から観ていた。
彼女が星組に移り、鳳蘭と大原ますみと3人で出演した『我が愛は山の彼方に』などは、今も鮮やかな記憶として残っている。
その後、花組へ移りトップスターになり、『ベルサイユの薔薇』のオスカル、そして『風と共に去りぬ』のスカーレットと役を重ねていく頃、ちょうど私は中学のクラブ活動が忙しくなり、その後は、高校受験、進学と、すっかり宝塚を離れてしまった時期でもある。
だから私の中の安奈さんの記憶は、真帆しぶきさんの下級生にいた頃から、ツレちゃんこと鳳蘭さんなどと活躍していた星組の記憶までが鮮やかなのである。
私は彼女の中性的な魅力と歌声が好きだった。
子供心に彼女のビロードのように濃厚で甘い歌声が大好きだったのだ。
その中でも彼女が歌う『ひとり星の上で』(ジルベール・ベコーの名曲)
この曲を歌う彼女の歌声は今もハッキリ耳に焼きついている。
一旦受験、進学などで離れた宝塚に再び戻ったのが、大学時代。
母校である大阪音楽大学は阪急宝塚線にある。そのまま終点まで電車を乗れば、終着駅は宝塚。
音大には阪急沿線の友人が多く、宝塚も好きな人が多く、午前中の授業を受けて、その後、宝塚へ、など自然の流れでもあった。
私の友人がある下級生のファンになったことから、私も再び宝塚へ。
結局、友人がファンだった下級生と、私は意気投合して友人になり、それからはその友人の公演ごとに何度も宝塚を訪れた。今でも彼女とは親友で、35年以上もつきあっている。
だが、誰のファンだった?と聞かれれば、安奈淳さん。
いろいろな人を見てきたが、ずーっと安奈さんが好きだった。
その後、安奈さんが芸能界でドラマに出たりするのを時々拝見したこともあったが、膠原病になられて以来、非常に体調を崩され、時には生死を彷徨うほどの重病にもなられたりしているのを記事で拝見したりしては、なんとも言えない気持ちになったりしていた。
結婚、子育てという時期も終わり、私にとっての宝塚は、青春時代の大切な思い出の1つになっていた。
再び、安奈さんの存在を意識したのは、10年ほど前だったか、私の大学の後輩が、ある大学のミュージカル学科の講師になって、出会った時だった。
たまたま彼の勤める大学は、私の居住地圏内で、電車の駅も一緒。
その彼から、「僕の大学に元タカラジェンヌの安奈淳さんが教えにきてるで」と聞かされた時だった。
安奈さんが元気になられて、大学でミュージカルを目指す学生たちの指導をしていると聞き、こんな郊外の大学まで来られている、ということになんだか非常に親近感を感じたのを覚えている。
かつて雲の上のような存在だった人が、自分と同じような場所にいるということが懐かしく、さらにお元気になられていることが嬉しかった。
しかし、その頃、私は別の歌手のファンになって、推し活生活の真っ只中。
宝塚からは離れたままだった。
それが今から数年前、娘が観に行きたい、と言い出したのがきっかけで再び宝塚へ。
単に趣味で書いていたレビューのブログから2年前に音楽評論家になった私が、彼女の歌を評論家という立場で聴く日が来るとは思わなかった。
人生はわからないものだ。
ずいぶん前置きが長くなってしまったが、
そんな経緯を持つ私は、彼女のリサイタルは、数年前から一度は行きたいと思っていた。
しかし、公演は東京が多く、たまに関西で行われるものも気づいた時にはチケット完売で、今回も東京の追加公演ということでチケットが販売されており、運よく滑り込んでチケットを手に入れたのだった。
場所は阪急宝塚線川西能勢口にある「みつなかホール」
こじんまりとした、けれども非常に綺麗なホールで、小さいながらも音響のいいホールという印象だった。
今回のリサイタルは2部構成。
1部は『追憶の輝き』
シャンソン形式の物語風になっており、久しぶりに訪れたカフェは、店じまい間近。
その店で、その頃、好きだった男性とのエピソードや思いを語りながら歌うという構成になっており、最後は偶然にも男性が現れるが、彼女と男性は同じテーブルを囲うこともなく、別々の場所に座っている、という話だった。
いわゆる一人芝居の一人語りのような形式で綴られていく歌物語。
伸びやかで透明的な彼女の歌声が会場によく響いていた。
昔から彼女の滑舌の綺麗さが印象に残っていたが、変わらず、言葉の処理や力の配分など、語りに必要な緩急や強弱の言葉の処理と滑舌が見事だった。
力を抜くと彼女の歌声は透明的になる。
ビロードのような濃厚な色味と透明的な色彩の対比が浮き彫りにされるような歌だった。
2部は『Bouquet d’espoir』
『アイラブ・レビュー』から始まり、彼女の宝塚時代の持ち歌を数々披露する構成だ。
まさに水を得た魚の如く、伸びやかで煌びやかな歌声が蘇って、当時の記憶を一気に呼び起こす。
そして『愛の宝石』
この歌を聞いた瞬間、当時の記憶が一気に蘇り、彼女の歌に合わせて私も空で歌えるほど、歌詞を覚えていたことに自分でも驚いた。
上演は1973年、『ラ・ラ・ファンタシーク』
もう50年近くも前の歌なのに、空で歌えるほど覚えている。
当時、自宅で大声で歌いまくっていた。
私の大好きな歌『ひとり星の上で』もこの作品の中で歌われた歌だ。
彼女の歌声は、当時となんら変わらない。
あのビロードのような濃厚で艶のある甘い歌声は健在だった。
そして声量。
今年75歳になるという彼女の声量は非常に豊かで、伸びやかだ。
申し分ないのだ。
先日の布施明の歌声といい、彼女の歌声といい、とても70歳半ばに差し掛かろうとしている歌声とは思えない。
日頃の鍛錬と精進だけが、歌声を支えるということの証のような歌声だった。
ザ・宝塚!という雰囲気の2部は、彼女も伸びやかだし、会場も一気に盛り上がった。
元タカラジェンヌにとって、自分の演目というものは、歌手にとってのヒットした持ち歌と同じなのだということをあらためて感じた。
70歳を超えて、安奈淳は輝いている。
彼女の著作『安奈淳スタイル』と『70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った』は、彼女と同世代だけでなく、年下の女性にとっても、1つの生き方の指針になる本だ。
私の娘は、「安奈さんのような素敵なおばあちゃん(失礼)になりたい」と話すし、彼女のワードロープを食い入るように見つめては、商品を検索しまくっている。
元タカラジェンヌというカテゴリーだけでなく、全ての女性の生き方の指針になるような存在として、これからも彼女の活躍を願っている。
シンプルで、昔から宝塚の色に染まりきらない存在のファッションが、素敵だった。
そしてその生き方も彼女独特のスタイルを貫いている。
いつまでも元気で歌声を聞かせてほしい。
そう願っている。