初音ミクのボカロイド曲「命に嫌われている」

この楽曲を手越祐也がカバーして動画をあげているのを聴いた。

この曲の前の楽曲アラジンの「A Whole New World」でも彼は自分の歌声を使って2つのパートを歌い分けるという新しい試みを試していたが、今回のこの曲でも新しい試みをしている。

今回も手越は、自分の歌声をカスタマイズしている。

 

この曲は高めの音域で全体のメロディーが構成されている。それゆえ、発声のポジションを高めに固定することが必要とされる。この曲における冒頭からのフレーズで、手越は、顔の前面にポジションを固定し、普段の彼の歌声よりも高めで明るめの音色の声を作り出している。そして後半のフレーズ、サビの部分のフレーズは、テクノボイスに加工された高音を使っているように聴こえる。これは、なぜ、使っているように聴こえるかと言えば、曲の後半、最後の方のサビの高音部分はテクノっぽさが消えて、ノーマルな音に聴こえる部分が存在するからだ。だから実際のところ、どの程度加工しているのかの判別が難しい。

ただ言えることは、彼がこれほどの高音の曲を歌い続けることができるほど、彼の高音部分は安定した発声をしているこということである。

そして全体の音色が非常に綺麗なのである。響きの混濁がなく、澄んだ綺麗な響きの歌声をしている。

これは彼の声帯のコンディションが非常にいいことを証明している。

彼の歌声を聞く限り、どんなに荒れた生活をしていても喉に影響が出ないほどの強靭な声帯の持ち主という印象はない。それなりにきちんと管理された生活の中で、コンディションを保つことが必要な声帯であると想像できる。

即ち、彼は自分の声帯のコンディションを含めた生活の管理がきちんと出来ているということの証明にもなるのである。

 

ここのところ、彼の歌には、驚かされるばかりである。

単にカバー曲を歌っていた去年とは異なり、今年に入って、自分の歌声を使って新しい試みを次々してくるようになった。その度に、私のように彼の歌をそれほど多く聴いてなかった人間にとっては驚きの部分と、次にどんなことを仕掛けてくるのかという期待感を抱かせる存在でもある。

彼がジャニーズ事務所にいたなら、決してこのような試みはできなかっただろう。

アイドルグループのメンバーとして大手事務所に守られている存在では、確かに安定・安心の環境なのかもしれない。しかし、それはある意味で、アーティストとしての進化やチャレンジを阻む要素もたくさんある。既存のイメージを壊さないように活動することが求められる世界でもあるだろう。

独立して何の所属も持たないフリーの身は、安心・安定とは程遠い世界だ。その反面で、自由であり、自分の感覚、感性で活動できる世界を手に入れたことにもなる。

彼が、「音楽は手放さない。ずっとやってきたのだから」と話すのを聞いたとき、この人の中で、歌を歌うことは当たり前のルーティンであるのだと思った。少年の頃から身に染み付いた音楽や歌を年代と共に進化させて行くこと、新たな欲求が出てくるのは当たり前の感覚で、その欲求に自然に従っているのが今の彼の姿なのかもしれないと思った。

 

今月、新曲がリリースされるという中で、このように精力的に新たなことに挑戦して行く彼は、本当に音楽に歌に貪欲なのだと思う。

活動の自粛が続くエンタメ界で、彼のような活動の仕方は、十分に新たなファン層を獲得して行くのに有効な手段だ。

結局、活動自粛という環境ではなく、どのようにその環境を生かして、音楽活動を続けて行くのか、ということが問われている現代なのではないのかと、彼の精力的な歌手活動から感じた。

 

手越祐也の新曲が楽しみだ。