2016年2月の入隊中に発売された彼の2枚目のソロフルアルバム「No.X」の中の一曲。

このアルバムについては、彼が入隊前に告知。除隊後に「誕生日に合わせて出すはずだったが出せなかった」という発言から彼が韓国の事務所の中でどのような立場に置かれているかが、単なる想像から事実へと転換されることにもなったいわくつきの一枚だ。

作詞は彼自身。

この曲もそうだが、彼自身が詞を書いた韓国時代の曲には、絶望から何とか這い上がろうとする叫び、暗闇の中に一筋の光を見つけて歩いていこうとする姿、自分だけの領域を守ろうとする強い決意、さらには血を流しながら前に進む、という絶望の中で倒れても立ち上がり決して諦めないという強い決意のようなものを感じさせる歌が多い。

日本活動を再始動して初めてのライブにおいてのこの曲の意味合いは、これを作った当時とは自ずと異なるだろう。

だからなのか、この日の彼の歌声には絶望感の色が漂わない。

 

歌い出しの声は中音域が並び、綺麗に鼻腔に響いている。

メロディーが上行系から高音部に差し掛かっていくと、韓国語特有の発音によって声帯が扁平的に横に広がり、それに従って歌声の響きも扁平的なものに変わる。

響きのポジションは顔の前から奥の咽頭部へ移り、鼻腔から離れる。

その為、サビの高音部のエネルギッシュな歌声は、縦の響きよりも横になぞったような響きになる。

これは韓国語の母音が日本語のそれよりも複雑であることから来る発音ポジションの違いによって、声を当てるポジションが鼻腔からズレるために生じる。

そのズレを彼は力で押し切ることで歌い飛ばしていく。

声質は混濁した響きになり、少し割れ気味になる。また力で押し切る歌い方をするために、高音部は下から突き上げるような響きになる。

その声とは対象的に、サビが終わり、曲のエンディングのフレーズに近づくに連れ、また綺麗な鼻腔の響きのある中音域の歌声が戻って来る。

 

この頃の彼の歌声は、鼻腔に響かせながら、高音部の響きを出していく場所がズレている、または感覚的にわからない、という状態になっているように見受ける。

これが日本語の歌のポジションのズレの始まりに繋がっていくように思う。

 

こうやって聴くと、彼の歌声の迷いのようなものが曲ごとに現れていて、歌手としての葛藤の中で歌っているのが感じられる。

 

ライブ映像の曲をこのように1曲ごとに切り取って聴くのも、分析をする上では有効な手段の一つだと思った。