今回、このイベントに無理をして参加したのには理由があった。ジェジュンの歌声を実際に聴いてみたいと思ったからだ。

いくつかの記事を書いてきて実際に生歌を聴けば印象が違うかもしれないとも思った。あくまでも音響機材の媒体を通して聴く歌声とマイクを通しているとはいえ、実際の生歌とでは印象が違う可能性もあると思ったから。

昨日のイベントはファンクラブイベントとしては十分に成立していたと思う。

前半のトークは十分にファンとの距離感を埋めており目的を果たしている。またそれに付随して行われたミニライブもファンミのライブなのだと思えば十分成立していたと言える。今の歌声でいいと感じるファンには十分に彼の歌手としての魅力を示したと言えるかもしれない。

ファンの要望に応える、ファンとの距離を埋めるというファンミ本来の目的は十分に果たしているイベントだった。

 

私が今回のミニライブに関してのReviewを書かないのは、実際に聴いた歌声の印象がこれまで書いた記事の内容と変わらなかったからだ。CDやアルバムを聴いて感じてきた印象を覆すようなものがなかったという理由が大きい。実際に聴いて、彼の歌声に関しては、私が抱いていた印象は違っていなかったと思った。

だから彼自身が今の歌声で満足、もしくは、この歌声で今後も歌っていくというのであれば、それでいいのではないかと思う。高音を押し気味に喉で歌う歌唱法は韓国人にはありがちな唱法であり、その方が彼が歌いやすいというのであれば成立しているのではないかと思う。

 

今回、ファンミに参加してあらためて感じたことは、彼の歌声云々よりも、やはり韓国で活動してきた歌手と日本で活動してきた歌手との歌に対するスタンスの根本的な違いというものであり、これらの理解を避けては、日本の聴衆としての満足感を得ることはできないのだとわかった。

これはジェジュンだけに限らず、東方神起やその他の韓国の歌手全般に共通するものだと思う。

おそらく彼でなく他のKPOP歌手を長年聴き続けてきていたとしても、私が音楽をしている人間である限り同じようなことを感じるのではないかと想像する。

現在、多くのKPOPアイドルが日本で活動しているが、歌というものに対する根本的な考え方、また取り組み方の違いは、その原因が彼らにあるというより韓国芸能界全体の考え方にあると感じる。日本の業界の考え方とは大きく異なると言うことをあらためて認識させられたイベントだったと言ってもいい。

 

 

私は昨年、多くの歌手のコンサートに出かけた。

このブログを書き綴るのに、出来る限り多くの歌手の歌を取り上げ実際に生歌を聴いてみたいと思ったからだ。

三浦大知、玉置浩二、城田優、松田聖子、氷川きよし、平原綾香、徳永英明など、幸運にも生歌を聴く機会を持った。どの人もキャリアを積んできた歌手であり、独自の音楽の世界観を構築している存在と言える。

私があまりにもランダムにコンサートに出掛けるため、「どうやって聴きにいく歌手を決めているんですか?」と質問されたことがあったが、特別な理由はない。ふと思い浮かんだ歌手のコンサートを調べて手当たり次第に応募するというのが正しい。ジャンルも傾向も年齢もバラバラな彼らだが、共通するのは「歌」に対するスタンスと常に歌手として進化し続けているということだったと思う。

 

日本と韓国では、「歌手を育てる」と言う考え方において大きく異なるように思う。

日本で長く活動を続けている歌手には当たり前のスタンスがKPOPアイドルを輩出している韓国の芸能界には見られないということが大きな違いだと感じる。

 

例えば日本ではデビュー前にもちろん訓練を積む。しかし多くの歌手はデビュー当時、完璧ではない。どこか未熟な部分を積み残したままデビューする。そして年数と経験を積む中で、よりベストな歌が歌えるように成長していく人が多い。もしくは違うジャンルに挑戦したり、イメージを変えたり、と常に進化し続けている。また進化するために追加訓練を欠かさない。

これは事務所のスタンスに負うところが多いが、新曲を出すことによる訓練以外に歌手の基礎力を上げる訓練を課している、もしくは歌手本人の自覚からそのようにしている人が多いように感じる。

また半年をかけてツアーを組む人も多く、そのツアーを乗り切るための体力づくりやボイトレを欠かさない。ボイトレを日頃から積んでおかないと長丁場のツアー中に必ず声が出なくなる。

身体と声の基礎体力づくりは徹底的にやる人が多い。これはベテランになればなるほどその傾向が強くなる。

持久力と基礎体力がなければ長く歌い続けることは出来ない。その場凌ぎの付け刃では必ずスタミナ切れを起こす。歌におけるスタミナ切れは、声が出なくなる、歌えなくなることを指す。

 

この日本の業界のスタンスに対し、私が知っている韓国芸能界の印象は違う。(これは私がこの10年、韓国の芸能界というものを見てきて抱いている印象で、そうでない実態を知っているなら教えて欲しい)

KPOP歌手は練習生時代に厳しい訓練を積む。デビューした時には日本の新人とは比べ物にならないぐらい完璧なパフォーマンスを習得している。ダンス、歌、どれを取ってもかなりのハイレベルで、ハイスペックだ。その能力を身につけるのに彼らがどれほどの努力を積んできたか、競争社会の中で生き残る大変さと共に敬意を払う。

しかしデビューした後の彼らの活動を見ると一様に感じるものがある。それは追加訓練の不足だ。

彼らは多額の資金をかけてデビューしてくる。

デビューした後、事務所は彼らを使って徹底的に資金の回収に乗り出す。これが東方神起の奴隷契約で有名な韓国芸能界の一般的システムだと感じる。

東方神起の奴隷契約問題が明るみに出たことで、芸能人の契約に関する法令が定められ、契約年数は最長で7年となった。

言い換えれば7年の間に資金を回収し利益を出さなければ、そのグループの育成は失敗したことになる。その為、日本を初めアジア全域をターゲットとした活動日程が組まれる。

彼らはもちろん新曲に相対する度に新しいパフォーマンスと歌を練習する。しかし、それは新曲のための訓練であって基礎力となる追加訓練ではない。

彼らのデビュー後の活動を支える歌手としての体力は全て練習生時代に培われたもので、その蓄積によって補われる。言い換えれば、言葉は悪いが力の切り売りになる。そうやって何年も活動を続け、入隊前にピークが来るのが常だ。

入隊という活動期間の空白がある限り、事務所はそれまでになるべく多くの利益を上げようとする。なぜなら2年の空白後、彼らが果たしてどのような状態で力を保っているかは未知数だからだ。

総じて、韓国の歌手、いわゆるKPOPのアイドルと呼ばれる人達は、30代以降、歌手としての進化を感じられない人が多い。

これは日本の学生野球に例えるとわかりやすいかもしれない。

少年時代から実力があり、高校生時代に良い成績を残した選手がプロに入ってからも一流の選手になるとは限らない。早くに実力のピークが来てしまいプロに入ってから伸びない選手も少なくない。

反対に高校生時代には一流ではなかった選手がプロの適切な指導を受けて大きく実力を花開かせ、一流の選手になる場合もある。

要するに伸び代が残っているかどうかが、その後の成長の大きな鍵になる。

 

音楽でも同じことが言える。

ピアノやバイオリンなどの弦楽器は早くから技術の習得をする方が良いとされているのに対し、管楽器はそうでもない。特に「歌」は本格的な練習は遅い方が良いとされる。

これは声変わりなどの第二次成長期を経て「声帯」という器官が肉体的に完成されていくからであって、未発達な身体での訓練はその後の活動に大きな影響を与えかねない。

特に男性の場合、肉体的な成長が完成するのは18歳以降になり、その中でも声帯は最も成長の時期が遅い。それ故、変声期の12、3歳から完成期の20歳ごろまでは慎重な訓練が必要になる。

しかしKPOP歌手の場合、10代のその時期は最も激しい訓練を積む練習生時代を経験している人が多い。そのためにその頃に身につけたテクニックが声帯の成長と共に合わなくなってくる場合もあり、感覚のずれ、発声ポジションのズレなど、様々な問題を抱えたまま次々に仕事をこなしていくことになる。そうやって根本的な解決をしないまま歌い続ける人が多いのが特徴だと思える。

これがKPOP界で長く歌い続けている人が少ない要因の一つではないかと思う。即ち、練習生時代の発声をその後もずっと続けていることで、画一的、統一的な歌声の出し方しか知らない。

兵役後、また30代後半になって歌手を続ける人が皆無なのは、この統一的発声が肉体の加齢に技術的に対応できないからではないかと感じる。対応できない大きな原因に追加訓練の皆無があるのではないかと推察する。

 

日本の歌手の場合、長く歌い続けている人は必ずと言っていいほどボイトレを受けている。

そんなのは歌手なら当たり前じゃないかと思う人も多いかもしれないが、この当たり前のことが案外出来ていない場合が多い。

活動が忙しかったり、次々、仕事が入ったりする中で、日常的にボイトレなどの基礎訓練を積めるかどうかは、事務所や本人の自覚のもとに成立する。

長く歌声を保ち続けている歌手は必ずこの追加訓練や日常的な訓練をして歌声を保っている。そうでなければ年齢と共に進化し続けることはできないからだ。

 

三浦大知や城田優は明らかにデビュー当時より歌唱力が進歩している。

上手くなっているのだ。

それはデビュー後、数年を経てボイトレの追加訓練を受けたことで肉体的成長に対応する発声の仕方を身につけてきているからに他ならない。彼らは30代前半だが、明らかに20代より肉体的には成熟している。しかし20代の歌声よりも進歩していることは確かだ。三浦大知も城田優も高音の伸びが明らかに進化している。これは彼らが肉体の変化に伴って、その肉体にあう発声法を身につけるための訓練を追加してきたことによる結果と言える。

もし彼らがデビュー当時の発声法のままで歌っていたとしたら、今のような歌声ではなかったはずであり、今のような楽曲やミュージカルが歌えていたとは思えない。

 

このように日本の歌手の場合、追加の基礎訓練を積むことによって歌手寿命を伸ばしていく人が多い。

これが韓国の芸能界との大きな考え方の相違であり、当然、その中で仕事している韓国人歌手の意識は日本人歌手のそれとは違うだろう。

 

例えば私はこの10年、東方神起のメンバーだった5人の歌声を聞いてきたが、明らかにデビュー当時と歌声が変わり歌手として進化したと感じる人はいない。

もちろん歌は声だけでなく表現力も大きな要素である。そういう面では成長していると言えるかもしれない。

しかし、その表現力を支えるのは歌唱力であり、歌唱力を支えるのは歌の基礎体力なのだ。この基礎体力がどの人も不足しているように感じる。これは30代を迎えてから数年、どのメンバーにも感じるようになった。年齢的肉体の変化にあった追加基礎訓練を受けていないことがその主な原因と感じる。即ち、練習生時代の発声法をそのまま使っていると考えられる。

しかし韓国の芸能界において活動している限り、日本の持つ意識を本人達が持つことは難しいと言える。

KPOPスターとしての仕事が中心のスケジュールでは、日本のように一年を通しての本格的なツアーよりもファンミ的な韓流スターとしての仕事の方が経費をかけずに資金を回収できるというメリットがある。

そのために彼らが長く歌えるためには何が必要なのかという長期的考えよりも、今、歌える間、声が出る間に売れるだけ売ってしまおうという近視的考えに支配されている。そんな中で育ってきた彼らは、日本で活動しても根底にその考えがあり自分達の考えに疑問を持たない。ボイトレの重要性や体調管理、リハーサル時の体調の作り方など、15年選手であれば当然知っていること、身についているべきことが教えられていない可能性も無きにしも非ずである。

 

そういうことをジェジュンの歌声を聴きながら、ふと思った。

 

彼はずっと長く歌い続けたいと話している。

それには、どこかで歌声を作り替えるほどの基礎追加訓練を積まなければならないかもしれない。

今のような活動の仕方で長く歌い続けられるかどうかは疑問の余地を残す。

 

日本には上手い歌手が山のようにいる。

年齢を超えて歌声を保持し続けている歌手は山のようにいるのだ。その中で彼は歌手として生きていかなければならない。

KPOPの先駆者とも言うべき世代の彼が日本の業界の中で歌手としての存在感を示すには、日本流のスタンスへの転換が不可欠だと思う。

それができるかどうかが、彼のキーポイントだと感じた。