城田優は優れた演出家だと思った。
観客を何も気負わさずにその世界に連れて行く。
いつのまにか私は19世紀後半のパリにいた。
城田優は最近自分が主演するだけでなく演出や歌詞の翻訳など自らが制作側に参加する演目が多い。
「PIPPIN」もそうだった。彼が翻訳した歌詞は主人公の心情を丁寧に言葉に載せていた。
「ファントム」は彼が演出、主演だ。それだけに主人公エリックの心情描写が非常に丁寧に描かれ、一層共感を呼ぶ内容になっている。
城田優のミュージカル俳優としての素晴らしいところは台詞から自然体で歌に移行していくところ。
エアーの流れの中でセリフが話され、そのまま自然に歌へと移行して行く。セリフと音楽が一体化している。それが彼の中では自然体で行われている。これが素晴らしい。
それが体現できるのは彼がセリフも歌も同じポジションで発声できているから。即ち、フロントボイスになっているからだと感じた。
歌の素晴らしさは言うまでもない。
彼の身上である自然体の発声はどんな状況からでも対応できる。
「母は僕を生んだ」は、セリフなのか歌なのかわからないほど音楽と言葉が溶け合って圧巻の歌唱だった。
城田優は優れた役者の顔も見せた。
エリックの心情の変化をセリフのトーンを変えることで表現しきった。
例えば、クリスティーヌと初めてデートをする場面ではこの上なく優しい音色の話し言葉でエリックがいかにクリスティーヌを大切にしているかを描き、警官や自分をクリスティーヌから遠ざけようとする人物と対峙する場面では太く割れた音色を用いて怒りを現した。父と初めて親子の名乗りをする場面では幼な子の無垢な心情を甘い音色で表現した。
このように彼は自分の声を自由に幾重にも操れるだけのテクニックを持つ事をこの作品で証明した。
そのテクニックの基盤になるものは正しいブリージング(呼吸法)とフロントボイス(顔の前面で発声する方法)のポジショニングがしっかりと身についているからに他ならない。
これは彼がここ数年、ブロードウェイミュージカルに出演する中で身につけてきたテクニックだと思う。だからこそ、彼の歌唱力はこの数年で長足の進歩を見せている。
今回の歌唱を聞く限り、彼はすでにそのテクニックをしっかりと身につけ、ミュージカル俳優としてどう表現して行くかのステージに入ったのだと感じた。
「ファントム」は城田優の為にあると言っても過言でないほど、エリックに同化した彼の姿があった。
彼の歌に自然と涙が頬を流れ、何度も何度も泣いた。
これほど泣いた作品を経験したことがなかった。
愛希れいかの可憐さと相まって、エリックとクリスティーヌの浄化された愛の世界が完璧に再現されていた。
素晴らしかった。
それ以外の言葉は見つからない。
城田優はミュージカルがよく似合う。
彼の役者としてのスケール、歌手としてのスケールの大きさは、どちらか単一のものではもう吸収しきれないほど大きく成長している。
音楽とセリフの一体化した世界でなければ、彼のスケールの大きさに応えることは出来ないだろう。
彼はきっとミュージカルの世界で大成する。