この曲は、NHKの「The Covers」でも歌われた。あの時の歌い方と一番異なるのは、サビの部分の「メロディー〜」の歌い方だと思う。今回の歌の方がエネルギッシュだ。

この歌も中音域が中心にメロディーが展開される。それゆえ、彼の魅力的な中音域の歌声をふんだんに聞くことが出来る。
甘い歌声。中音域でポジショニングされた音質がそのまま高音部に移行していく。
フレーズの終わりに必ず甘い響きが顔を覗かせる。その為、フレーズの終わりの音色がそのまま次のフレーズに引き継がれ、曲全体が甘い音色に彩られる。
東方神起時代、彼が歌うバラードに多くのリズナーが涙を流した。その頃の歌声よりも濃厚で充実した音色の歌声で絶え間なく歌い綴られていく。

音楽が縦に刻む中で、彼の歌はその上を横に音を繋いでいく。
音楽が前へ前へと進むのを彼のゆったりとした歌が引き止めていく。
たっぷりとゆったりと音楽は進んでいく。
彼の充実した歌声がこれでもかこれでもかと太い音の束になって進んでいく。
まるで濃厚な油絵を観るように、立体的な音楽の広がりを感じる一曲だった。


読者の方からの質問に彼の「た」の発音が気になるという指摘をツイッターで言われた、とのこと。
指摘されているのは、冒頭の「今もまた」「あのうたは」や、サビの部分の「メロディー〜、泣きながら、僕たちは」の部分の「た」の発音のことだと思う。
それを言うのであれば、それらに続く「聞こえてるよ」「優しくて」「寂しくて〜」の「て」の発音も同様である。
これらTを子音にする発音は、曲全体に何ヶ所もあり、この曲以外の楽曲にも存在する。

確かに日本人の発音から考えるとこれらの音は違和感を感じるものでもある。特にこの曲のようにバラード曲でゆったりとした流れの楽曲の場合、言葉の発音の違和感は気になるものでもある。
即ち、彼のT行の発音にはT音の前にZの発音が入る。そのために単なるT音の発音にならず、ZTから始まる子音+母音という形になり、それが一部の日本人の耳には耳障りなのだ。
しかし、これはある意味、仕方ない事でもある。それは彼が韓国人であり日本語を母語としないということに尽きる。

韓国人だけでなく、欧米人も中国人もこれらの発音になる可能性は多い。
これを説明するには、ひと記事分の長さを要するので、また別の機会に書きたいと思うが、簡単に言えば日本語だけが口を縦に開くと言語である、ということが大きな要因になる。即ち、日本語を母語とする私達は、日常的に縦に口を開いて言葉を発音している。それはほとんど口を大きく動かさなくても話せる言語だ。しかし、日本語以外の言語は違う。欧米語も中国、韓国語も横に口を動かして発音する言語だ。
さらに大きく異なるのは、日本語には子音で終わる単語は存在しない。そのため、子音と母音が一体化していて、「た」はあくまでも「た」の発音であって、決して「Ta」ではない。即ち、子音と母音の境目がないのである。これが歌に最大向かない言語と言われる所以でもある。なぜなら日本語の発音は母音があるために声が奥へと引っ込むからである。
そういう言語を日常的に使っている日本人は、歌を歌うときも話すのと同じポジションで言葉を発音する。そのためにJPOPなどのリズミカルな歌の場合、言葉の明瞭さに欠けることがある。また、その日本語の欠点を補うためにJPOPではワンフレーズの中の言葉数が非常に多い形で作られる楽曲が多い。さらに言葉を明確に発音するためにわざと子音+母音、即ちアルファベットの発音に変換させて歌うJPOP歌手も多い。

そういう特徴を持つ日本語の歌を外国人が歌う時、その発音は母語の発音を日本語に転換することになる。
全ての音は、アルファベットの子音+母音の発音に変換されることになる。そのため、一体化している日本語の発音との違いが顕著に出やすいのは「T」「K」「S」などを子音に持つ単語である。

ジェジュンは非常に日本語に長けている。普段の話し言葉では流暢に日本語を発音しており、その発音はネイティブに近いと言っても過言ではない。しかし歌になった場合、話し言葉と同じ発音ポジションで歌うことは難しい。なぜなら、歌うときの筋肉と話すときの筋肉は異なるからである。
そのため、日本人が聴けば、彼の発音に違和感を感じる部分はあるだろう。しかし、私はこの歌に関しての違和感は曲の感動を妨ぐものではないと感じる。

★お知らせ

12月1日、都内で第三回レビューセミナーを開催します。詳細が決まり次第、こちらでもお知らせします。