この曲のレビューは既にMステ出演時や、昨年末のスペシャルコンサートのDVDを拝見した時に書いたのだが、CDに収録された音源を聴くとまた別の側面が見えてくる。

まず、氷川きよしの持ち味である「言葉の一つ一つが非常に明快である」という点がCDの歌唱においてはさらに強調される。

言葉の一つ一つが非常に立っているために、わかりやすく聴衆はイメージを描きやすい。これは彼の特徴であるタンギングのアタックが鋭いという特色から来るものだと思われる。

また口角をはっきり動かしても歌声に影響を受けないのは、彼の発声が下顎に余分な力が入っていない証拠でもある。それゆえに声のコントロールが非常に自由に出来ている。

これはこの難曲を歌うのに非常に適した発声であることを示している。

 

「ボヘミアン・ラプソディ」の難しさは、オペラ形式とロック音楽という全く相反する二つの音楽形式を一つの楽曲の中で歌いこなさなければならないという歌声の切り替えとコントロールの難しさにある。

 

前半はたっぷりとしたボリュームのロングトーンの歌声が求められる音楽だ。朗々と歌い繋いでいく長音が続いていく。伸びのある歌声と明確な音程の正確さを求められる。この部分において彼は十分、その音楽の期待に応えており、たっぷりと豊かな声量で音符を歌い繋いでいく。

 

次の展開部においては、小刻みに動く細かな音符の動きの上に多くの言葉が乗せられて行く。即ち、オペラでいうところの「語り」の部分になる。ここではタンギングのエッジを深くすることで、多くの言葉が細かな音符の動きから落ちこぼれないように鋭角に切り刻んでいく必要があり、この部分において彼は音楽の要求する通り、リズムに遅れることなく言葉を見事に処理している。

 

そして最後はロックだ。力強くエネルギッシュな歌声が延々と求められる。ここでは歌手は息をつく暇もない。力を抜いて歌うことなど許されず、音楽の力強い流れの中で、対抗できるだけの声量でたっぷりと歌い切る決然さを求められている。この部分においても、彼は前の語りの部分からギアーを二段階切り替え、エネルギッシュな歌声を披露している。

この切り替えが見事だ。

このように切り替えられるのは、彼が自分の歌声を完全にコントロール出来ているからに他ならない。

 

「ボヘミアン・ラプソディー」が難曲でフレディにしか歌えないと感じるのは、この切り替えと何種類もの歌声が要求されるからだ。

さらに氷川きよしの場合、この曲を日本語で歌う。最も歌に適さないと考えられている日本語で歌うことにさらに難しさが加わる。

しかし、彼の場合は、この部分も綺麗にクリアしてくる。

 

豊かな声量と確かなテクニック。

この二つを同時に求められる難曲を歌いこなせるという歌手としての実力を彼はこの楽曲で証明した。

歌手としてのレベルの高さと、ジャンルに捉われない歌唱力と表現力。

 

 

「ボヘミアン・ラプソディ」はフレディの人生も変えたが、氷川きよしの人生も変えた。彼だからこそ、否、彼にしか日本語版「ボヘミアン・ラプソディ」を歌うことは出来ないだろう。

 

この楽曲は歌手氷川きよしの出発であり、人間氷川きよしの再生に繋がる一曲だ。