たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

画像

今回は、女性シンガーAI(アイ)を扱います。『Story』や『アルデバラン』などのヒット曲を持つ彼女ですが、近年、歌手活動に留まらず、音楽を通して世界に平和を訴えかけるなど、積極的に自分の考えを発信しています。また、2人の子供を持つ母親としての側面と歌手としての活動の両立に奮闘しながら、自らの行動で次世代へのメッセージを伝える彼女の魅力についても迫っていきたいと思います。

ロサンゼルスで出会ったゴスペルが運命を動かした

AIは、1981年生まれの42歳。本名は植村愛カリーナと言います。ロサンゼルス生まれのクォーターで、母方の祖母がイタリア系アメリカ人です。

2歳の時に土建業を営む父親の仕事の都合で鹿児島に一家で移り住みました。母親は鹿児島で講演活動などを行うバーバラ植村で、妹の幸(サチ)はロサンゼルスでデザイナーやカメラマンの仕事をしています。

2014年に結婚し、平和(へいわ)と博愛(はくあ)という一女一男を持つ母親でもあります。

彼女が歌手を目指すきっかけになったのは、10歳の頃、母と訪れたロサンゼルスの「ファーストAME教会」でゴスペルクワイア(聖歌隊)に出会ったことが始まりでした()。

その後、彼女は12歳の頃、この教会で聖歌隊の歌うゴスペルに触れ、彼らが歌う「あなたは1人じゃないから」「あなたのことを見てくれている人がきっといるから」という歌詞に感動し、涙が出てきたと言います()。

画像

その後、彼女は、小学校に通いながらタップダンスのレッスンを受けたり、発表会でR&Bの曲を入れた英語劇で歌い踊るなど、自分をステージで表現することに挑戦し、中学を卒業後、渡米しました。

高校は、ロサンゼルスの芸術高校「LACHSA」を受験。すでに選抜試験の終わった音楽専攻ではなく、枠の残っていたダンス専攻を受験しました。試験は、得意のタップダンスやヒップホップではなく、クラシックバレエだったとか。

試験は大苦戦でしたが、校長先生の「みんなに向ける笑顔と努力する姿がステキだったから、チャンスをあげよう」という言葉で合格したと言います()。

この時、彼女は、「誰にでも必ずチャンスは巡ってくる。人生を変えるのは、勇気を出して挑戦するかしないかだ」ということを学んだのです。

アメリカでデビューするか、日本でデビューするか

在学中はガールズグループに所属し、アメリカでのデビューと日本でのデビューに悩んだとか。ですが、メンバーから「アメリカでブレイクしてから日本に行くのは簡単、だけど日本からアメリカに来て、ブレイクするのは絶対に無理」と言われたのです。

「絶対に無理」と言われることに対して「やってみないとわからない」という気持ちが昔からあった彼女は、アメリカでのデビューを選択せずに、日本でのデビューを決めたのでした。

デビュー曲は、2000年11月の『Cry, just Cry』。ロサンゼルスの高校にいるときから歌唱力には高い評価を受けていた彼女は自信満々だったと言います。ですが、この曲は売れず、『Story』のヒットまでの5年間、下積み生活を余儀なくされます。

この時期、彼女はラジオ番組にばかり出ていたとのこと。そんな時に安室奈美恵が声をかけてくれて、彼女が出る歌番組にフィーチャリングしたとか()。そのような下積み時代を経て、彼女は『Story』を発表するのです。

画像

代表作となった『Story』

 

続きはこちらからAI『後に続くものに平和を伝え続けるミュージシャン』(前編)人生を変えるJ-POP[第37回]|青春オンライン (note.com)