たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

画像

今回は、俳優としても歌手としても非常に人気の高い福山雅治を取り上げます。最近では、全盲のFBI捜査官を演じた『ラストマン』が話題になりました。福山雅治といえば、『容疑者Xの献身』や『ガリレオ』『そして父になる』など、優れた演技力で多くのヒット作を持ちます。また、シンガーソングライターとしても『桜坂』や『最愛』などの代表曲を持つアーティストとして有名です。そんな福山雅治の魅力がどこにあるのか、彼の楽曲作りのスタンスや歌声から探っていきたいと思います。

手違いでデビューできなかった可能性も!?

福山雅治は、1969年生まれの54歳。九州の長崎に生まれました。音楽との出会いは兄の影響で中学生の時にギターを弾き始めたことから。高校時代には兄と2人でバンド『LAR』を結成し、兄はドラム、彼はギター、ボーカルとして既存のバンドのコピーなどをしていたと言います。

長崎県立長崎工業高校を卒業した彼は、その後、表現することが諦められず、「古着屋をやりたい」と嘘をついて上京()。材木店などでアルバイトをしていました。

19歳の時に、アミューズが10周年記念として、10本の映画の主役10人を募集したオーディションに見事合格してデビューをしました。

実は、この話には有名なエピソードがあり、最終審査への結果待ちの中、彼には結果が来ませんでした。期日までに結果が来なかった彼は、審査に落ちたと思い、自分の車でドライブに出掛けてしまいます。ところが、道中、自動車のマフラーが落ち、修理のために一旦帰宅したところ、アミューズから電報が届き、呼び出されたのです。

これは最終審査の通知が送られていたにもかかわらず、手違いから彼には届いていなかったとのこと。こうやって彼は無事、アミューズの最終審査を受け合格。デビューへの道を歩み始めることになりました。(

オーディションの話にはもう一つのエピソードがあり、それは特技を見せる場面で彼は「材木を担いだ」というもの。他の人達が皆、ドリブルなどの爽やかな特技を披露するのを見て、「爽やかなこいつらに勝つには材木担ぎしかない」と思った彼は、それを披露したとか。ですが、材木は持って行っていなかったそうです。(

甘くシュッとしたイメージの彼が材木担ぎのようなパフォーマンスを見せるという意外な一面が審査員に受けたのかもしれません。俳優としてのデビューは、1988年11月26日公開の映画『ほんの5g』。歌手としてのデビューは、1990年3月21日発売の『追憶の雨の中』。このように俳優としてのデビューが先だったのです。

歌手デビューは21歳の時だったのですが、デビューシングル『追憶の雨の中』はデータがなく、どのくらい売れたかはわからないとか。その後、シングル4枚、アルバム3枚を発売するも売れなかったと言います。(

画像

俳優として、歌手として成長していく

デビューの年こそ芽が出なかった彼ですが、その後、俳優活動と共に歌手としても注目を浴びるようになっていきます。1991年秋には「あしたがあるから」でテレビドラマデビューを果たし、翌92年に出演したドラマ「愛はどうだ」で挿入歌『Good night』を歌いました。さらに1993年の大ヒットドラマ「ひとつ屋根の下」にも出演をしました。

この年、彼の曲である『MELODY』が大ヒット。一気に知名度があがります。そして、その年の暮れにはNHK紅白歌合戦に初出場を果たしたのでした。

その後、『IT’S ONLY LOVE』(1994年)、『HELLO』(1995年)がミリオンセラー。さらに2000年には『桜坂』が220万枚を超える大ヒットとなり、歌手として不動の地位を築いていきます。

このように、彼は、俳優業と歌手業という二足の草鞋を履きこなす大スターになっていくのです。

結婚ニュースが、社会現象まで引き起こした

 

続きはこちらから福山雅治『音楽を通して自分が何者であるかを伝え続ける表現者』(前編)人生を変えるJ-POP[第30回]|青春オンライン (note.com)