城田優が演出、主演を行っているブロードウェイミュージカル『カーテンズ』を観てきた。
このミュージカルは、2007年にブロードウェイで開幕し、同年のトニー賞の8部門でノミネートされ、1部門の受賞となった作品だ。
この作品を城田優が前作の『ファントム』に続いて演出、主演を務めている。
彼はこの作品の準備中に10キロも痩せたと言っており、主演と演出を兼務するというのは、それほどの激務であることが伺える。
確かにステージに現れた彼はガリガリに痩せていて、非常に線の細い外見をしていた。
私が彼のミュージカルを観たのは、2019年7月の『PIPPIN』が初めてである。
それまで私は彼がそれほどミュージカルを演じているとは全く知らずにいた。
確か、TVの音楽番組のミュージカル特集の中で、彼が歌うピピンの歌『Corner of the Sky』の歌があまりにも素晴らしく、その歌をどうしても聞きたくて、ミュージカルを観に行ったのを覚えている。
彼がこの歌を歌うのを何度か聞いたが、聞くたびに上手くなるのがわかり、城田優の歌手としての才能に敬服したのを覚えている。
歌が上手くなるのには、条件がある。
もちろん、テクニック的な練習と確かな指導。
これは欠かすことが出来ない。
しかし、それよりも何よりも、一番に大事な要素は、「素直」ということである。
これは、歌だけに限らず、どの分野に於いても、その人が進歩発展していくには不可欠の要素であると言えるだろう。
どれほどのポジションを築いていても、
どれほどの功績を持っていたとしても、
どれほど年齢を重ねていたにせよ、
またどれほどベテランと言われようと、
他人の言葉に耳を傾ける。
他人のアドバイスを受け止める。
この「素直さ」がない人間は、進歩が止まる。
どんなに高いレベルにいたとしても、それ以上の進歩発展はない。
逆に、素直に他人の意見に耳を傾ける人間は、
どこまでも幾つになっても、進歩発展し続ける。
この「素直さ」が、アーティストの世界に於いては、どんな才能よりも大切だと感じる。
城田優の歌を聞いて、一番思うのは、
彼の「素直さ」である。
これは、彼の歌を聞けば一目瞭然であり、今回のミュージカルの歌に於いても、その本質は何ら変わることがないと感じさせる。
私が彼の歌唱について、一番評価するところは、「歌い出し」である。
曲の歌い出しは、サビの部分よりも難しい。
なぜなら、その第一声に於いて、聴衆は、その歌手の実力も印象も一瞬で図るからである。
特にミュージカルのような物語のセリフの続きに歌が始まる場合、その歌い出しは、何の違和感もなく聴衆の耳に届けなければならない。そして、その歌声は聴衆がそれまで物語の中に没頭していた気持ちを増長させるものであればこそ、阻害させるものであってはならないのである。
即ち、その歌声が始まった瞬間にも、彼は役であるフランク・チョフィ警部であらねばならず、決して城田優であってはならないのだ。
聴衆はあくまでもチョフィ警部の歌声によるストーリーを観るのであって、決して城田優が邪魔をすることは許されない。
そこには、その芝居に対して歌が違和感なく存在していなければならず、これが普通の歌手と違うミュージカル俳優の難しいところであると言えるだろう。
それを彼は今回も見事に演じている。
また『ファントム』での初めての演出、主演という重責を果たした功績は、彼のその後のミュージカル界での存在感を確かなものにしたと感じる。
私は彼のミュージカル曲を集めたCDを初めて聞いた時から、彼が日本のミュージカル界で成功すると確信している。
彼のキャラクターは、ミュージカルという大きな器の中でこそ、その魅力を自由に発揮できるのではないかと思っている。
彼が演出することによって、彼が話すように、歌が物語の中で違和感なく存在している。
物語の進行を決して止めない。
そういう言葉のチョイスが、『ファントム』では主人公の気持ちをより深く聴衆に感じさせたし、今回のミュージカルでも、サスペンスのスピード感を止めることはなかった。
これが彼自身の考えが深く表されている部分であり、ご愛嬌で、今回は出演者の瀬奈じゅんとの「闇が広がる」のフレーズの掛け合いなどは、出演者だからこそ出来る演出というものでもある。
また、いつも感じるのは、集団の場面での完成度の高さだ。
コーラス、ダンスフォーメーションなど、全体の舞台のバランス感覚が非常に優れており、スッキリとした感じに作品が仕上がっているのも、彼の音楽的センスの良さを物語っている。
このように、彼の存在は、現在のミュージカル界に於いて大きく、それだけのポジションを築ける功績をしてきたからと言えるだろう。
即ち、今後の日本のミュージカル界において、城田優は間違いなく一端を担う存在なのである。
ここ数週間の彼を取り巻く雑音の数々は、彼が過去において行った事実なのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
この2年、私が業界に入って感じることは、芸能人という職業の過酷さである。
それは一般人の想像を絶するような勧誘や交流が、いつ大きな口を開いて待ち受けているかもしれないポジションの危うさでもある。
私のように一般人だった人間でも、過去に精算した人間関係はいくつもある。
その人間関係が信頼に事足りるものだと思っていた時と、自分の環境やポジションが変われば、実はそうではなかったということを知り、精算するしかなかった関係もある。
だからと言って、信頼していた頃の自分を愚かだったと後悔しても、それは今のポジションにつくために必要なことだったとしか言えない。
人間は過去に生きることも出来なければ、未来に生きることも出来ないのである。
今、
今を生きることしか出来ない。
今の自分があるのは、過去の自分があるからで、
今の人間関係があるのは、過去の人間関係の上に成り立っているものなのである。
即ち、精算することで、生まれる人間関係もあるのだ。
私のようなものでも、そう言える関係があるのだから、ましてや芸能人の彼らには、数え切れないほどの人間関係の精算と新しい出会いがあるはずである。
そのある時期のある部分を切り取って、それが彼の全てであるかのように批判することは、ナンセンスである。
なぜなら、彼もあなたと同じように、多くの出会いと別れを繰り返して、人生を前に進めているからである。
特に芸能人の場合、売れていなかった新人の頃に出会った人間関係と、ポジションを築いていく中で出会う人間関係では、大きく乖離していることが多い。
過去の時代を蒸し返し、人間性を否定することは、人間の成長を認めないことに繋がる。
そんなくだらない事案で、彼という存在が否定されてしまうことがないことを願う。
それぐらい、彼がミュージカルという分野に於いて、この十数年、培ってきたものは、日本のミュージカル界にとっても大きいものだからである。
環境が変われば、人間関係が変わる。
人間関係が変われば、情報が変わり、
情報が変われば、人生が変わるのである。
芸能人だって然り。
彼の周囲が、良い環境と人間関係に恵まれていくことを願っている。
日本のミュージカル界の発展の為に。
文責
松島耒仁子(音楽評論家)