多くの歌手がカバーする中島みゆきの「糸」
この曲を聴き比べ検証した。
動画が見つけられたものに関してだけ貼っています。
★中島みゆきの歌唱
非常に言葉を丁寧にゆっくりと発音して歌っているのが印象的。
一つ一つの日本語のことばを大切に、彼女の言語感覚に沿った色がつけられて歌われる。
たとえば1番は全体的に明るい色調で歌われる。ただ一つ「誰か」という言葉だけが太く濃厚な響きで歌われる。
2番になると「ささくれ」という言葉は、繊細な響きで歌われるのに対し、「縦の糸」「横の糸」という言葉は、太い音色になる。
「いつか誰かの」の「いつか」という言葉は、少し跳躍気味に歌うことで軽さを表現している。また「傷を庇うかもしれない」というどちらかと言えば深刻に歌いがちな歌詞に対して彼女は反対に明るい色調で歌っている。
2番の「縦の糸はあなた、横の糸は私」というサビの部分になると重厚で決然とした意思を感じる歌声になる。ところが「合うべき糸に出会える事を人は仕合せと呼びます」の部分では、「仕合せ」という言葉を非常に明るく慈しむように発音している。
このように彼女の歌には、多彩な色の歌声が言葉によって使い分けられていることがわかる。
これが彼女の音楽の多様性であり、ソロ歌手として明るい色調の歌から暗い色調の歌まで幅広く表現する世界を構築する感覚とテクニックを持つ所以だと感じる。
「糸」は、現在、最も多くの歌手にカバーされている曲と言われ、あらゆるジャンルの歌手が好んで歌う曲だが、そこには彼女のオリジナルの歌唱による深く多彩な色の声によって何層にも描き出される世界が、歌手であるなら一度は自分の歌声で再現してみたいと思う魅力的な楽曲として感じるということの証明に他ならないのだろう。
★JUJUの歌唱
一般的にこの曲を歌うとすれば彼女のような解釈になると思える歌唱。
言葉の解釈による力の入れ方、感情の入れ方は非常にオーソドックスであり独創的ではない。
オリジナルの中島みゆきの歌い方が非常にスローなテンポで噛み砕くように言葉を歌ったのに対し、JUJUの「糸」は非常に淡々とあっさりと歌っている。
言葉は明確。彼女の「糸」には悲壮感はなく、哀愁も少ない。アップテンポ気味の曲調には、この曲の持つ明るさや未来志向が見える。淡々とした語り口の歌になっている。
★福山雅治の歌唱
ギターの弾き語りによる歌唱。
その為に歌声の抑揚が顕著に聴き取れる。
言葉は丁寧にゆっくりと歌われる。
ギターだけの伴奏のため歌声に誤魔化しが効かない。
「縦の糸はあなた。横の糸は私…」というサビの部分では彼特有の甘い歌声にゆっくりと発音した言葉が乗せられ決して押しつけるのではないが説得力のある歌い方になっている。
一つ一つの言葉を丁寧に紡いでいく、という歌い方になっている。
また歌い上げるのではなく、訥々と言い含めるような歌になっているのが特徴的でもある。
★ATSUSHIの歌唱
ATSUSHIの歌う「糸」には彼の優しさが溢れている。
全体にソフトな歌声の響きからはこの曲を非常に優しい楽曲に仕上げようとする彼の意思が感じられる。
言葉の一つ一つのアタックもソフトであり角が立たない。にも関わらず言葉は明確に聴衆に伝わってくる。
響きがソフトな分、聴衆は彼の歌声に集中して耳を傾けることになるのだろう。
決して押しつけない歌い方には彼の歌に対するスタンスが現れている。
どの曲も自分の側に音楽を引っ張ってくるのではなく自分が楽曲に寄り添う形の音楽になっている。
最後のロングトーンも歌声を誇示するのではなく、あくまでも音楽の余韻の中に溶け込むような響きで現される。
★平原綾香の歌唱
彼女の歌声も多彩な色を持っている。
たとえば「私達」という言葉と「生きてきたの」の「た」の歌声の音節の発音において、決然と歌う場合と響きを抜いて優しく歌う場合とでは全く音色が異なる。それと同様にあちこちに言葉のニュアンスによって決然とした歌い方の場合は濃く太い音色を用いるのに対し、繊細な発音をする言葉の場合は透明感の溢れた細い響きや響き自体を抜いて無色の音色で歌っている部分がある。
このように彼女の場合は多彩な色みの歌声を組み合わせてこの楽曲を構成している。
スローなテンポで、一つ一つの言葉を大切に噛みしめるように丁寧に歌っている部分はオリジナルの中島みゆきのスタンスに近い。さらに彼女の場合は、最後の部分ではオリジナルよりもさらに噛みしめるように歌っているのが印象的だ。
★三浦大知の歌唱
彼の持ち味である非常に明確な日本語の世界が繰り広げられる。
彼の特徴である日本語の明確な発音は、アタックとタンニングの正確さによるものだと言える。
子音の発音が明確なのも彼の特徴である。
その為、ほぼ単色で歌われているにも関わらず、非常に説得力を持って「糸」の世界が繰り広げられる。
テンポはよく、音色は統一されている。
ギターだけの伴奏にも関わらずギター音と声との距離感を感じさせないのは、彼の歌声が単色であるにも関わらず太い響きを持った音色の為にギターの濃厚な響きと一体感を醸し出す為だろう。
非常に明確なメッセージ性の高い「糸」の世界が表現される。
★Mr.Childrenの歌唱
桜井の声は一本の単色である。但し単色の中に複雑な色合いが隠されているのがこの人の歌声の特徴である。
響きが複雑に絡み合う。
歌い方は非常にオーソドックスで正確、スローなテンポで展開される。
高音部も突き上げるような歌い方は決してしない。
とつとつと歌い進められるサビまでのフレーズが独特の色合いを見せ印象的である。
最後のロングトーンの部分に於いても破綻なく、それでいてフレーズの最後の歌いきりにこの人の情熱が現される。
決して派手ではない、それでいて心に染みとおってくるMr.Childrenの「糸」の世界が広がる
★ジェジュンの歌唱
彼の歌は非常にスローなテンポで一言一言を丁寧に歌っている。
日本の歌手が、どちらかと言えばあっさりと歌っているのに対し、彼の歌は前へ進もうとする音楽を歌が引き止めている歌い方になっているのが、特徴的だ。
全体的な音色は優しいソフトボイスに統一されている。
この歌に関しては、彼の歌声の特色である倍音の響きが随所に見られる。その為、音程が幅広く、響きが多重になり、立体的な奥行きを感じさせる歌声に聴こえる。
歌い上げる手法ではなく、語る手法が使われている一曲。
※総括
このように本人のオリジナルも入れて男女8人の歌唱を紹介した。
どの歌手の歌唱が優れているというよりは、このように歌は歌い手によって同じ楽曲であっても印象が全く異なるものになる。
しかし、どの曲にも共通であるのは、歌手それぞれのこの楽曲に向き合う姿勢と歌詞によって現される世界を真摯に表現しようとする姿勢である。それぞれの歌唱にはそれぞれの歌手の持ち味が十分表現されている。
このように多くの歌唱を聴き比べることで、より深く「糸」の世界を理解することが出来ると言える。
また、どのような解釈であっても楽曲がそれぞれの曲想で成り立つということを示しており、楽曲そのものの作りが非常にしっかりした懐の深さを感じさせる。
ここに多くの歌手がカバーしたくなる魅力があると感じた。