氷川きよしが、声帯の不調から予定されていたコンサートを2つ、中止した。
声帯ポリープと出血が見られるとのこと。
明らかに疲労による障害だと感じた。
3年前、初めて彼のコンサートに行った時、驚いたのは、彼が43曲も歌ったことだ。
バースデーコンサートということもあったのか、ライブ自体は3時間半を超えるものだった。
その上、彼はそのプログラムを1日に2度こなしていた。
お昼の11時半から1回目の公演が始まり2回目は4時半から。
私が夜のコンサートに参加する為に、最寄駅に降り立ったのは3時半過ぎ。
その頃、多くの観客が帰りの為に駅にいた。
要するに、3時過ぎごろまでコンサートを行い、次のコンサートは4時半から。
その間、わずかに1時間半の休憩しかない。
私は正直言って驚いた。
そして初めての彼のコンサートの間中、何を思っていたかと言えば、「声帯は大丈夫なのか?」
ただそれだけを心配した。
彼は私の心配を他所に最後のリクエスト曲「大丈夫!」まで、完璧に歌いこなしていた。
そのバイタリティーと強靭な声帯に驚愕したのを覚えている。
なぜなら声帯は、30分歌えば充血して真っ赤になるのである。
この充血を元の状態に戻すのに2時間かかると言われている。
私のようにクラシック出身の人間は自分の声帯の管理に非常に気を遣う。
即ち、練習やコンサートで声帯を長時間使った後は、十分な休息を与えて声帯の磨耗を防ぐからだ。
もちろん持って生まれた体質によって、声帯の強靭さには差がある。
しかしどんなに強靭な声帯を持っていても、声を発するのに声帯が振動している、という事実は変えようがない。
声帯の粘膜は、振動して両端を擦り合わせることで音が鳴る、即ち声が出るのである。
普通、話し声での振動数は1分間に150〜200回と言われている。
この振動数は、高い声になればなるほど回数が増える。
即ち高い声を出すには細かい振動が必要なのだ。
赤ちゃんの泣き声のような高い声では1分間の振動数は400〜500回に上る。
これは普通の状態での振動数である。
これから考えてみれば、歌手が1時間、2時間と歌い続けるライブでは、実に何千回、何万回という振動の負荷が声帯にかかってくるのは容易に想像できるだろう。
それぐらい、歌手という職業は、声帯に取っては過酷なものなのである。
これを氷川きよしは、1日に2度行ったということになる。
しかし、3時間半という長丁場のライブを1日に2度、こなしても、彼の声帯は歌声がかすれること無く鳴り続けた。
この強靭な声帯は、持って生まれたものでもあり、そういう意味で彼は恵まれたとも言える。
しかし、反対に強靭な声帯だったからこそ、普通の歌手には無理なスケジュールでもこなせてきたとも言えるかもしれない。
私には初体験だったが、きっと彼はこのようなコンサート形式をずーっと行い続けていたのかもしれない。
しかし、私は、1日に2回フルコンサートを行うということが声帯にどれぐらいの負担を与えているのか、ということを考えるだけで、彼の声帯が大丈夫なのか、という疑問を常に持っていた。
演歌というカテゴリーを外しロックやポップスまで歌うということは、1つのジャンルだけでなく多くのジャンルを歌うことになる。それはつまりのところ、演歌だけを歌ってきた頃とは比べ物にならないぐらい声帯に負荷かけるだろうということは予想できる。
ロックやポップスは、メロディー展開、さらには声域に於いて演歌とは大きく異なるからだ。
また、発声ポジションに於いて、演歌を歌う時とポップスやロックを歌うときでは、彼は明らかに変えていたはずであり、その何通りかの発声ポジションを組みあせて何時間も歌うことは、それだけで声帯の摩擦は一つのカテゴリーのジャンルの何倍、何十倍もの負荷がかけられることを意味しているのである。
なぜなら声帯は粘膜という筋肉の一種であり、その使い方を歌によって変えるのは、野球選手が相手の球種によって打撃フォームを使い分けることと同じであり、それだけでも非常なストレスになるのは目に見えているからである。
それを彼はこの3年、日常的に行っている。
また、ライブだけで無く、歌番組に出れば、演歌を歌ったりポップスを歌ったり、ありとあらゆるジャンルの楽曲に果敢に挑戦している。そこには当然、本番に至るまでの練習というプロセスがあり、何度もポジションを変えては歌っているのである。
さらにファンほど彼のスケジュールを追いきれていない私でも、彼がコロナ禍の中でも全国ツアーを行い、毎年アルバムを出し、その合間にシングルの発表、歌番組への出演など、かなりの露出を行っていたのを知っている。
これほどの過密スケジュールの中で、声帯の健康を守って行くのは容易ではないと感じるほどだった。
今年いっぱいで活動を無期限停止する彼には、今年、どれぐらいのスケジュールが組まれているのか、私にはわからない。
しかし、この時点で声帯が悲鳴を挙げるほど、それは、やはり無理があったと言えるのかもしれない。
強靭な声帯を持つからこそ、本人も含めて周囲は、注意を払わなければならないのだ。
これぐらいなら、大丈夫。
これぐらいなら無理出来る。
強靭な声帯なら、尚更のこと、少々の無理をしても、それが症状に現れるのは少ない。だからこそ、症状が現れるというのは、声帯そのものが悲鳴をあげているとも考えられるのだ。
以前も彼は一度、ポリープの手術を行っている。
それによって「高音が出しやすくなった」と話しているのを読んだ記憶がある。
また、「出血している」というのは、声帯が充血だけに留まらず、摩擦によって傷を負い、傷口から出血しているとも考えられる。1日2日の休息では、回復しないところまで疲弊しきっている、とも考えられる。
ここまで疲弊しきっている声帯には、十分な休息が必要だ。
炎症を抑えるのは、「無言の行」を貫くことしか解決策はない。
おそらくそれまでにステロイドなどの炎症を抑える薬は使ってきているだろうから、声帯がそれでも回復出来ないところまで来ている、ということなのだろう。
私も学生時代、声帯炎になったことがある。
その時は、2週間、無言の行を貫いた。
家族とは筆談で会話したのを覚えている。
現代は、スマホがあるから、意思の疎通は、声を出せなくても容易だろう。
今、彼と彼の周囲ができることは、十分な休息。
声帯が回復するまでには時間がかかるということを覚悟して、今後のスケジュールを組み直すことが必要かもしれない。
人間の声帯は、機械ではないのだ。
それを十分に本人も周囲も自覚する必要がある。
彼の声帯が健康を取り戻し、また鳴りのいい歌声が戻ってくるのを願っている。