手越さんの記事をミュージック・ペンクラブに掲載したことに関して、あるファンの方(手越さん個人のファンなのか、NEWSのファンなのか存じません)からブログに批判コメントが来た件について、ファンの間で火種になっているとのDMが届きました。

その方は、丁寧ですがかなり手厳しく、私が批判コメントを画像で晒したこと、さらにはNEWS時代の歌について他のメンバーを無視するようなことを書いている、NEWSを下げているようなことを書かれていました。

これらの件に関して、この方に個人的にお答えするよりは、今回の件を通して、私の評論のスタンスというものを多くのファンの方にお伝えすると同時に、評論家というものの立場をお話しさせて頂こうと思います。

 

最初にお伝えしておきますが、評論というものはファンの為に書いているものではない、ということです。

取り上げる歌手のファンはいいことが書かれていれば、喜ぶでしょうし、悪いことを書かれていれば怒るでしょう。

ですが、評論家は、「書きたいから書く」のが仕事です。

純粋に手越さんの歌を聴いて「書きたい」と思ったから書いただけです。

彼がNEWSのメンバーで、グループ時代からソロで歌ったりしていた、ということはファンの方が教えて下さいましたし、動画も紹介して貰いました。

ですが、一般的な認識としては、手越さんと言えば、「NEWSでメインで歌っていた人」という印象を持つのではないでしょうか?少なくとも私は、そういう印象を持っていました。

確かにこの方が書かれてきたように、低音部は他の方が歌われていたでしょう。ですが、それがグループ音楽というもので、グループで歌を歌う場合、それぞれのメンバーの一番得意とする音域を担当させて曲を作るのが常です。

ですから、どうしても音域ごとに担当者が変わるのは当たり前で、そうやってそれぞれの一番いいところを抽出して構成されるのがグループ音楽ということになるのです。

その中でも常に主旋律を担当する回数が多い人、サビの部分のメロディーを歌うことが多い人をメインボーカルと言います。多くの楽曲は中音部から高音部にかけてのメロディーを使ってサビの部分を作ります。その為、どうしても高音域が得意な人がメインボーカルになりやすいのは、JPOPの特徴とも言えます。

特に日本人は、ハイトーンボイスを好む傾向が強いです。

この部分を得意にする歌手がメインボーカルを担当することは多いと思われます。

ジャニーズのグループの場合、どれもサビをメンバー全員で歌うことが多いです。しかし、その中でも目立つ声と目立たない声があります。またソロで歌う機会が多い人は、やはり一般的に見て、メインと感じるのではないでしょうか。

それが他のメンバーのファンからすれば納得の行かないことであったとしても、評論を書く場合、誰の声がメインに聞こえて来るかは重要な要素の一つと言えます。

 

今回、私がソロ活動をしている手越さんを取り上げたことに関して、ファン社会で新たな火種を撒いている、さらに批判コメントの画像を晒し、NEWSの他のメンバーを下げるような発言をしている、と書かれていましたが、私は、JPOPの評論家として、純粋に彼のソロ歌手としての力量に惹かれたから正当に評価しただけであって、この方が言われるような意図を持って書いたものではありません。

またさらに、批判コメントの画像を晒したのは、私が事実でもないことを吹聴していると思われたくなかったからです。

ハッキリ申し上げて、私は何度も批判コメントを送ってくるのであれば、それなりの覚悟をして下さい、と申し上げてきました。

発言する、ということは、責任の伴う行為なのです。それがどんな立場で、どんな理由があろうとも、匿名で人に対して酷い言葉を投げかける理由にはなりません。

私は評論家として、名前も顔も晒し、社会的ポジションのある人間として、自分の書いたもの、発言したことには責任を持っています。今回の記事も、昨今、ジャニーズ事務所から退所する人が多く、さらにグループを脱退してソロ活動をされる方が増えてきている中、YouTubeを使って活動の場所を見出していくのは、一つの挑戦であり、そういう彼の活動を応援したいと思う気持ちから書いたものです。

歌手が自由な場所を求めて飛び立とうとするのを応援したいと思うのは、音楽の仕事をしてきた人間として当たり前の感情だと思います。

音楽は本来、自由であるべきで、それを奏でる歌手達も自由であるべきだと思うからです。

 

大手事務所を辞め、グループ活動をしていた人間が、ソロ歌手への道を歩むのは平坦な道ではありません。

それでも歌手は、自分の音楽をやりたいと思う人間です。自分のやりたいこと、表現したいことがグループ活動という制約された中で出来ないとわかれば、自由を求めたくなる気持ち、心情はよく理解出来ます。

ですから、そういう欲求を持つのは当たり前のことで、アーティストへの第一歩とも言えるのかもしれません。そういう人達を応援し、歌手が自信を持って活動の翼を広げていけるように後押しするのも評論家としての仕事であると私は思っています。

日本のアイドル文化、グループそのものを応援するというファンスタイルは、海外には見られない日本特有のものです。

そういう価値観から抜け出して、活動の場を自由に求める人が多くなった現象の一つとして、手越さんの活動は「書くに値する事案」だと思ったから書いたのです。

そこにNEWSのグループ事情やファン同士の争いなどは、全く干渉しない事案であり、私は1人の音楽評論家として純粋に書きたいと思ったから書いたに過ぎません。

 

今回、私が書いた記事についてファンの中で賛否両論があり、新たな火種を起こしている、と書かれていましたが、そうなれば、評論家は誰のことも書くことが出来なくなってしまいます。

評論家であるなら常に中立の立場でいるべきだ、と言われるかもしれませんが、それは、自分が好まないと思う記事を依頼された時でも、断ることなく、仕事として評論するということであり、どんな評論家も得意とする分野や専門にする分野があり、もっと自分の好みの傾向をハッキリ打ち出している評論家も数多くいます。

様々な事象を調べて書くというのは、必要なことですが、知り得る情報は限られており、全てを調べ切れるものでもありません。

以前、三浦大知さんの記事をペンクラブに掲載した時も、Twitterで拡散されたことから、一部、私の表記に事実誤認の部分があり指摘されてこられたファンの方がいました。

もちろん、すぐに記事のその部分は訂正、謝罪をしましたが、そのかたの文言に私個人のスタンスを批判するようなことが書かれてあり、事実ではないことが書かれていましたので、名誉毀損に当たると警告させて頂きました。

するとその方から、ご自分の名前や職業を記載され、なぜ、そのようなメールを送ったかの経緯と、軽率に批判した文言が名誉毀損に当たるとは思わなかった、今回のことで、三浦大知の印象やファンに対する印象が悪くなれば申し訳ないと思う、という謝罪のメールが届きました。

その時も私はその方に申し上げたのですが、明らかな事実誤認があれば教えて欲しい。ファンでない人間は知り得る情報も限られており、間違いがあるなら、いつでも謝罪して訂正します、と。

 

今回、メールを送ってこられた方も、コメントを送ってきた方も、どちらも匿名です。

匿名である限り、私には相手がどんな人なのかわかりません。そうやって、自分の身分を明かさないまま、意見を述べるのは、ある意味、卑怯ではありませんか?

ですから、最近では、SNS上での発言であっても、発言には責任が伴うのです。

どんなに身分を隠しても、その気になれば、調べることが出来ます。

ブログに批判コメントを送ってきた人は、自分のTwitterのアカウントを非公開にしたようですが、そういうことをしても無駄です。自分が発言したものは、自分が取り消さない限り、永久に残るのです。

もう既にスクショされ、アカウントごと保管されています。

それぐらい、自分の発言には責任を伴うものなのだということを知って下さい。

私はこの方が謝罪されてこられるまで、画像を取り下げる気持ちはありませんし、コメントを削除する気持ちもありません。

そして、ご自分の言動が、ご自分がファンである対象の芸能人の評価に繋がるということを知って下さい。

ファンはスターの鏡です。

過激な発言をするファンが多ければ、それはその歌手の一般的評価を作っていきます。

音楽業界の中でも、歌手のことを話題にする時、必ず、どういうファン層を持っているかということは話題になります。

担当者が顔をしかめるようなファン層を持つことは、歌手にとって、グループにとってマイナスイメージにしかなりません。

コンサート会場に行けば、ファンの気質というものは、すぐにわかります。

マナーを守って、本当に歌手のことを応援しているファンが多いのか、それとも、自分達が楽しみたいのが一番で、他のことなどどうでもいいと思っているファンが多いのか。

そういうファンの気質が歌手達のその後の活動にも影響を与え、そして、芸能界でのポジションに繋がっていくのです。

自分の好きな人が多くの人に認められるスターになって欲しいと思うのであれば、ファン1人1人が、そのような自覚をして、歌手の足を引っ張らない応援をして下さい。

 

今回のことは、私は、元、グループの歌手で脱退後、ソロ活動をしている歌手のファンの経験から、十分に理解も出来ますし、グループを脱退した歌手にはありがちなファン社会の争いと感じていますが、これが普通の評論家なら、もう2度と手越さんのことを書くのはやめようと思うでしょう。

そんなややこしいファン社会を抱えているような歌手はゴメンだ、と思うのが一般的な考えです。そして、その経験は、業界でその歌手の話題が出た時、必ず話題にされると覚えておいて下さい。

また、ひいては、手越さんだけでなく、残ったメンバーの方達の印象も悪くしてしまうということも覚えておいて下さい。

一方を批判するという行為は、一般の人間から見れば、批判した側も同じ輩に見えます。

即ち、どっちもどっちということなのです。

それなら、お互いに好きな人達の印象が良くなるように、相手が褒められれば、もっと自分たちが応援して、自分達の好きな歌手達のことも知ってもらい、記事に書いてもらえるようにしよう、と思って下さい。

記事を書いた人間に批判のメールを送ったりすれば、一般的には、その人が擁護する側の歌手達も印象が悪くなります。

 

評論家は、目に止まったもの、書きたいものを書くのが仕事です。それを社会的事象として捉えるなら、さらに書きたいと思う人間です。

特に私は、「書きたい」と食指が動く歌手にフォーカスすることが多いです。

歌手の評論を書いている音楽評論家は何も私だけではありません。

多くの方がいらっしゃいますから、その方々に書いて貰えるようにファンとして活動して下さい。

 

今後も私は、自分が書きたいと思ったことを書かせて頂きます。

その代わり、自分が書いたものには責任を持ちます。ですから、名前も顔も晒しています。

批判のメールを送ってこられる方は、それなりの覚悟をして送ってきて下さい。

社会的立場を持つ相手を批判するということは、そういうことなのだということをよく覚えておいて下さい。

 

私が音楽評論家になった時、音楽界のレジェンドと言われる評論家の方から言われた言葉があります。

それを最後に掲載します。

 

「評論家は、自分の書いたものに対して、何者の批判も受けない。受け付けなくていい。それが評論家、ジャーナリストというものであり、それだけの信念を持って書きなさい」

 

音楽評論家

松島耒仁子