今から○十年前、ステージに上がった頃、よく他のステージを観ながら思ったものだった。

40歳になって、人前で歌うのは、やめようと。

自分の師と同世代の歌手がたくさんクラシックのステージに立っていたが、年齢的な声の衰えや、外見上の衰えは、私に、40代になったら、人前で歌うのはやめたほうがいい、とよく思わせたものだった。

今、私のかつての師達は、70代以上ばかりで、もちろんステージに立っている。中には、80を越えてなお、現役の師もいる。

かつて私が抱いた「40代以上」は、今は、一番油の乗り切った世代になった。

クラシック界ですら、このような現象だから、芸能界は、もちろんだ。

新御三家を筆頭とした初代アイドル世代は、既に60歳前後になり、郷ひろみや松田聖子に代表されるように、今もなおアイドルとして走り続けている。

ふと音楽番組を観れば、かつてのヒット曲と共にそれを歌った歌手が出演していることは、最近では、よく観る現象になった。

小田和正や、布施明は、70代前後だし、加山雄三に至っては、81歳だ。

しかし、彼らの歌声にそれほどの衰えを感じることはない。それは、音響機器の精密さのおかげでも、口パクのおかげでもなく、彼ら自身の自己管理の下において、歌手寿命を長く保ってきた、という証明でもある。

B’zの稲葉氏は、ストイックな体調管理で有名だ。

ホテルにも楽屋にも加湿器を何台も持ち込む。

徹底的に吸入をして、声帯が乾燥しないように注意を払っている。

冷房は厳禁で、楽屋の冷房はもちろん切り、さらに廊下の冷気が入り込まないようにガムテープで扉の部分を目張りする。

温かいハーブティーを飲み、喉の乾燥にも気をつける。

これらは、彼の行なっているほんの一端だが、「B’zの歌を歌い続ける為」という理由だけで、ここまでストイックに声帯を管理する。

郷ひろみもストイックな管理で有名だ。

毎朝、必ずジョギングを欠かさない。朝、起きてから徹底的に運動をして身体を起し、身体が十分に温まってから、歌に取り掛かる。

声帯はもちろんのこと、アイドルで走り続ける為にも、身体全体の管理を徹底的に行う。

しかし、彼らは、最初から、そのセルフコントロールをしてきたわけではない。若い頃は、好き放題、喉が潰れるなどということは、想像もせずに歌っていたに違いない。

が、二人とも喉を壊した。

稲葉氏は、声帯に水ぶくれが出来て、歌えなくなる恐怖を味わったと言った。

郷ひろみは、結節が出来て、手術を余儀なくされ、しばらく歌えず、そこから歌声を取り戻すのに苦労したと言っている。

即ち、二人とも、アクシデントに見舞われてから、自分の声帯を管理するということに神経を払うようになった。

ポリーブや結節は、一種の職業病ともいうべきものだとも言えるが、その原因に、発声の仕方と日頃の声帯の管理、また、声帯寿命を考えない過密スケジュールなどがあげられる。

多忙な芸能界では、売れっ子になるまでは、過密スケジュールをこなして、一気に上り詰めないといけない。又、売れっ子になれば、さらにスケジュールは過酷なものになり、体調を振り返る暇もない。挙げ句に、1年先、2年先のツアーまで決まっているという人もいるだろう。

そんな中で声帯にアクシデントが起きれば、大きな損失に繋がる。

しかし、本人を含めて、誰も、「歌えなくなる」「声が出なくなる」というアクシデントは想像もしない。

声帯は、永久で、今の歌声も永久だと、信じているのかもしれない。

主たるアクシデントに見舞われなくても、声帯の管理に非常に気を使っている歌手がいる。

それが、平原綾香だ。

彼女は、絶対に喉を冷やす事をしない。

声帯のアクシデントは、就寝中に起きることが多い。

朝、起きてみると喉が痛かった。声がガラガラだった、という経験は、歌手でなくとも誰しもあるものだ。

これは、就寝中に、喉回りの筋肉が冷え、喉が乾燥する為でもある。

夜中の空気は案外冷えていて、さらに非常に乾燥していることが多い。

鼻や口元から入った冷気は、喉やさらに気管支、声帯を冷やしてしまう。寝ている間に風邪をひいてしまった、というのも、これらの事が原因になることが多い。

だから、彼女は、絶対に寝具をつけ、首元には、夏でもスカーフを巻き、冷えを防ぐ。さらに加湿器を使い、濡れマスクをして、さらにその上から普通のマスクをつけ、乾燥を防ぎ、完全防備の状態で就寝することで有名だ。ホテルでは、バスタブに水を張り、扉を開けて就寝する。これで、部屋全体の乾燥を防ぐことが出来る。

こういう知識は、彼女だけでなく、歌手として当然知っていて欲しい知識でもある。

「就寝前の枕元には、コップ一杯の水を置いて、枕元周辺の空気の乾燥を防ぐ」

「本番前の喉に唯一、いい飲み物は、甘めの温かい紅茶」

「声を出す最低3時間前には、起きて、声帯が目を覚ましてから、発声しないと、喉に負担をかける」

「本番と同じ時間帯に声を出す練習は、二週間ぐらい前から取り組むと良い。そうすれば、本番の頃には、その時間帯になると、声帯も身体も歌うことのスイッチが自然に入るようになる」

「いつでも声帯を歌える状態に保つには、ハミングを常日頃から行なって、声帯のポジションを上げ、柔らかくしておく必要がある……etc.etc.など」

これらの知識は書き出せばキリがないほどで、クラシック出身の人間なら、歌を習い始めた初歩の段階から、折りに触れて教えこまれる知識でもある。

クラシックの人間は、基本、マイクを使わずに歌う。それだけに、きちんと身体を使って歌わなければならず、声帯の状態も良い状態に保っておかなくては、いい声を出すことが出来ない。その為に、声帯の管理に関しては、非常に気を使う人が多い。

稀に「声帯が強い」という(本人の自覚なのか)理由から、大酒を飲み、喫煙をし、何の気も使わずにいる歌手も見かけるが、必ず、中年以降にそのツケは回ってくる。

声帯を危険に晒す行為の代償は、自分で払うしかない。

アイドルからソロ歌手になった人には、この部分のセルフコントロール力の弱い人が多い。

それは、体調管理も声帯管理もすべて、事務所に管理されているためでもある。

デビューしたときから、言われた通りにやっているだけで、その必要性も重要性も考えた事がなく、自分で管理しなければならないようになって、初めて、何も知らないことに気づく、という人も多いだろう。

声帯は、摩耗する楽器でもあるのだ。

長く歌い続けたり、無理を重ねたりすれば、必ず故障する。

何度も故障を重ねれば、やがて、歌手寿命を縮めることにも繋がりかねない。

声帯は生き物であって、他の楽器のように、壊れたら、新しいものと取り替えれるものではないから。

一生、自分の声帯と付き合っていく。

自分の声帯で、一生、歌い続けなければならないのだ。

そういう点から言えば、ストイックな生活を強いられるのは、当然のことで、長く歌い続けている歌手達は、誰もが、大なり小なり、ストイックな生活をしているはずだ。

その自覚がなければ、長く歌手生活を続けることは出来ない。

歌手が長く歌い続ける必須条件として、自分で自分の声帯を管理するということの自覚があげられるだろう。

その自覚から、すべては始まると思っている。