たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
今回は、『紅蓮華』を歌って一躍スターダムに上り詰め、『炎』で日本レコード大賞を受賞したLiSAを取り上げます。彼女の存在は、アニメ「鬼滅の刃」と切っても切れない、というのが一般的なイメージですが、彼女の歌の実力が楽曲を大きく押し上げたことが大ヒットに繋がったと言えるでしょう。そこには「音楽」「歌うこと」に対して決して諦めない彼女の強い気持ちがあったと言えます。そんな彼女の経歴や歌声の魅力、そして歌手としての実力を掘り起こしていきたいと思います。
アヴリル・ラヴィーンでロックにハマる
LiSAは1987年生まれ。岐阜県出身です。音楽との出会いは早く、3歳の頃には母親の影響から、ピアノを習い出したと言います。
内弁慶で引っ込み思案だった彼女は、家ではディズニー映画の主題歌などを大声で歌うのに、保育園に行けば友達の輪に入っていくのも気後れするような子供でした。
その様子を見た母親が、歌うことだけは好きだった彼女を地元のミュージカル教室に年長組で入れたのです。
すでにいろいろな習い事をしていたそうですが、「歌って踊る」ミュージカルが一番楽しかったと彼女は言います。そして、どんどん歌うことが楽しくなり、小学生の頃には、ダンスボーカルグループの“SPEED”の大ファンになっていくのです。(※)
その後、彼女は小学5年生で単身沖縄に渡ります。当時のJ-POP界は、彼女が憧れたSPEEDをはじめ安室奈美恵など、ダンスボーカルミュージックの全盛期。
その頃、SPEEDや安室奈美恵(三浦大知や満島ひかりなども)を輩出した「沖縄アクターズスクール」は、東京、大阪、名古屋、福岡、札幌の5大都市で全国オーディションを開催していました。
そのオーディションに合格した彼女は、沖縄の母親の知人宅に身を寄せて芸能界デビューを目指してレッスンに励みます。ですが、結局デビューは叶わず、中学2年生で岐阜の自宅に戻ってきたのでした。(※)
彼女が次に憧れたのがアヴリル・ラヴィーンでした。きっかけは、中学2年生のとき。3年生の先輩達に誘われてカラオケに行き、聞かされたのがアヴリル・ラヴィーンの歌でした。その後、彼女はロックの魅力にハマっていくことになります。
カラオケ後、彼女は先輩達から卒業ライブのボーカルを担当して欲しいと頼まれます。当時、メンバーの家にある蔵の中に設置されていた防音室のようなところでライブの練習をするのが楽しくて仕方なかったとか。
バンドの生音に合わせて歌うことの楽しみを経験した彼女は、高校時代、バンド活動をして本格的にロックの世界に入っていったのでした。(※)
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