たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
J-POP界には多くの優れたアーティストがいますが、絶対数で言うと男性アーティストの方が圧倒的に多い状態です。その中で存在感を示す女性アーティストの1人にJUJUがいます。今回は今年デビュー20周年を迎えた「JUJU」、デビューからファンに支持される「ジュジュ苑」という独特のイベント、さらには多くのファンの涙を誘ったというMVの世界など、数少ない本格派女性アーティストである彼女ならでは魅力に迫りたいと思います。
JAZZシンガーを目指していた少女時代
まず、彼女は氏名も年齢も非公表ということで、あちこちに本名や年齢は散見しますが、ここでは40代後半の女性シンガーということだけを明記しておきます。
現代のJ-POP界は、老若男女、さまざまなジャンルの多くのアーティストが混在していますが、40代女性アーティストはそれほど多くありません。この連載でも扱ったMISIA、前回の椎名林檎や浜崎あゆみ、aikoなど。宇多田ヒカルは今年40歳になりました。
その中でも本格派のシンガーソングライターとして独特の存在感を放っているのがJUJUです。
『奇跡を望むなら…』や『やさしさで溢れるように』『この夜を止めてよ』などの代表曲を持ちますが、そんな彼女が、最初に歌手になりたいと思い、目指したのがJAZZシンガーでした。
彼女は広島県出身。幼少時から大人に囲まれる環境で育ったと言います。そんな環境の中で目指した職業が歌手。
本当は中学卒業と同時に海外に留学したかった彼女は、進学校である高校で担任に「歌手になる」と言って、「ばかじゃないの?」と言われたとか。
お姉さんも優秀だったようで、そういう環境の中で、大学進学は当たり前。父親は絶対に大学進学派だったとのこと。そんな両親を説得し、大学4年間の費用をニューヨーク滞在に充てることで彼女のアメリカ行きは実現しました。18歳の時のことです。
ニューヨークに行けばなんでも叶うんじゃないか
とりあえずニューヨークに行けば何とかなる、と思っていた彼女は、うまくいく根拠など何もなかったと言います。それでもやはり彼女の勘は正しく、ニューヨークではラクに息が出来る、そんな解放される感覚だったとか。
元々、幼少時からJAZZやクラブミュージック、そしてファッションなど好きなものはニューヨークにあったと言います。
「高校2年か3年の時にニューヨークのクリスマスSPライブをテレビで観たこと。すごいミュージシャンを一つの番組に集め、同じ日に一つの街でライブをやってしまうなんて。その時、すごい街で、ここに行きさえすれば、何でも叶うんじゃないかと思ったんです。」(※)
自由で解放的なニューヨークで、最初の3、4年はクラブ通いばかりしていたとか。そのうち、手伝いを頼まれた洋服店でクラブに出入りしている人たちとお酒抜きの昼間に音楽の話をしたのが今の自分に繋がっていると言います。
ニューヨークではストリートミュージシャンの活動やクラブでの活動が噂になり、日本の多くのメジャーレーベルからオファーを受けますが、結局、2004年8月にソニーから『光の中へ』でデビューしました。
デビュー曲も2枚目も売れず、次があるかどうかもわからない…
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