デュエットというものは、双方の音楽レベルが同等、もしくは非常に近い場合、または同じ音楽感を持つ場合にいい状態で成立すると私は思っている。

そういう観点から今回の二人のデュエットを拝見した時、そのどちらにも当てはまらないと感じた。

 

この日、Mattは非常に緊張しているように見えた。

あれだけジェジュンのコンサートで「化粧」を見事に弾きこなし、その後も城田優や天童よしみなどのピアノ伴奏を冷静に弾きこなしてきた人とは思えないぐらい緊張しているように感じた。

それは彼が今回は、ピアノ伴奏ではなく弾き語りだったからだと思う。

同じピアノを弾くのでも、伴奏をするという行為と弾き語りではプレッシャーは大きく異なる。

私も何度も二つを経験したからわかるが、伴奏はあくまでもアシスタントの役割が大きい。伴奏において絶対間違えてはならないのは、イントロ、即ち出だしの前奏部分と、間奏、そして最後だ。そこだけは何があってもミスタッチは許されない。なぜならピアノ音が丸裸だからだ。ミスタッチをすれば誰の耳にもそれは明らかになる。

しかし、その他の部分、即ち、歌が被さってくる部分では、あくまでもサブの音であって、少々ミスタッチをしても目立たない。なぜならリスナーは歌声に集中しているからだ。前奏と間奏、そして最後の後奏だけに細心の注意を払って弾けばいいということになる。

 

しかし、弾き語りは全く違う。

弾き語りは伴奏の3つの部分を死守すると共に、歌いながら伴奏するという二つのことを同時にしなかればならない。即ち、歌を歌う神経とピアノを弾く神経の二つが同時進行になる。これら二つのことを同時に行えば、どうしても神経は「歌」に傾く。それは「歌う」という行為が多くの動作を同時進行で求めるからである。例えば、発声、そして歌詞、音程、リズム。これらの複数の動作に伴う神経を同時に使う。その上でさらにピアノを弾くという行為になり、歌のメロディーやリズムと異なるメロディー、リズムを弾くことを要求される。

歌だけ、伴奏だけ、という1つのパフォーマンスに神経を集中できるのではなく、歌とピアノという2つのパフォーマンスを同時に要求されるのが弾き語りである。だから多くの場合、ピアノ、即ち伴奏は意識しなくても考えなくても勝手に指が動いて弾けるという状態にまで練習を重ねる。それが出来た上で歌を載せるという作業になる。

 

この日、Mattのピアノのイントロは相変わらず綺麗で澄みきった音を奏でていた。しかし歌が始まるとどうしても歌に神経が集中する。さらに彼は緊張感で全体的に声が震え、音程がフラット気味になっていた。「Mステ」で自作曲を歌ったときの伸び伸びとした歌声とは全く異なり、全体的に縮こまった歌になっていると感じた。

 

こういう状況に相手がなったとき、デュエットする側には二つの方法があると思う。

 

しっかりとした音楽を提示して歌をリードしていく方法と、もう一つはあくまでも相手の音楽に合わせた形で歌う方法だ。

 

今までジェジュンは数多くデュエットを様々な相手と歌ってきたが、どの場合も前者のタイプ、即ち、自分の音楽をしっかりと提示し、相手の音楽に被せていく方法を取っていた。

しかし今回は、後者の方法を取った。

あくまでもMattの音楽に寄り添って自分の音楽の主張を極力抑えた形を取ったように感じる。音量もフレーズの処理も全てMattの音楽性に合わさった形で歌っていた。ただ音程においてだけ、Mattのフラット気味な音を引き継いでも正確な音程で歌うことに終始していた。

もし、彼も同じようにフラット気味の音程を取っていたとしたら、おそらく楽曲全体の音程が下がったものになり、ピアノ音との間のハーモニーに違和を生じさせていたように思う。

高音においてフラット気味なMattの音程をジェジュンが正しい音程で歌って渡すことで、デュエットが成立していたと思う。

これは多くのデュエットを体験してきた中でのジェジュンの瞬時の判断によるものだと感じる。

ジェジュンの17年というキャリアが、わずか数ヶ月の経験しかないMattの緊張感をしっかりと支えることで楽曲が成立していた。

これがもしデュエット経験の少ない歌手であったなら、このような瞬時の判断によって自分の音楽性を変えるということができなかったのではないかと考える。

東方神起というグループ音楽での経験は紛れもなくジェジュンというソロ歌手の中に生きていることの現れだと感じる。

 

経験は歌手にとって変えがたいものであり、経験を積むことで、音楽人として成長する。

Mattは確かに音楽の才能に溢れている。

今は、彼自身も言ったように、「意外性」という話題が彼の音楽に多くの人が耳を傾ける。

しかし、これからは違う。

一旦、ベールを脱いだ意外性は、これからは歌手としての活動が当たり前になる。

「ずっと音楽がやりたかった」と言うように、これからは音楽人としての視線で見られることになるのだ。

一つ一つ、一曲一曲の積み重ねが、音楽人Mattの歩みになる。

自分の武器を磨き、自分の世界を確立できた人間だけが生き残れる世界だ。

これから彼がどのような音楽を確立していくのか、どのような音楽人になっていくのか。

そして、そこにジェジュンが関わり続けるのかどうかも含めて非常に興味深いと感じた。