6ヶ月連続配信の最終曲だ。
12月22日にソロアルバムを発売する、その前に6ヶ月連続でオリジナル曲の配信をする、と発表して半年。その言葉通りに6曲を連続して配信してきた。
この最終曲はそのタイトル通り、手越祐也というアーティストのこの1年半の決して平坦ではなかった道のりとそれでもその先には新しい世界があるということを示唆した内容の歌になっている。
曲調はVOCALOID調のアップテンポ曲。
彼の持ち味である歌詞を明瞭に表現する、という力がいかんなく発揮されている曲である。
その明瞭な歌詞の内容の言葉の一つ一つが、アップテンポの曲であるにも関わらず、脳裏の中で言語化し、それを追いかけて確認するだけの時間的インターバルが与えられることによって、より深く聴衆の中に刻み込まれていく。
この言語の表現法は、彼が日本語に対する確かなタンギングテクニックを持ち合わせていることの証明でもある。
平坦で抑揚のない日本語をメリハリよく処理し、緩急を与えて表現していく手法は見事だと言えるだろう。その確かなテクニックがあるから、アップテンポの曲においても彼の日本語は流れていかない。明確にその場に止まって、音楽の中で存在感を示すのである。
これで彼は、この6曲の配信の中で、ポップス、R&B、バラードなどあらゆるジャンルの楽曲を提供してきたことになる。
これらの曲を聴いて、手越祐也という歌手の確かな歌唱力と表現力を感じずにはいられない。
伸びやかな発声、正確な音程、明瞭な歌詞、曲調による声の色彩の変化など、アーティストとしての基盤となる力全てを非常に高いレベルで持ち合わせている歌手であることがわかるのである。
あえて希望を言うなら、彼が今後はもっと響きを抜いた歌唱法を身につけることを希望する。
現在の路線の曲調には、響きを抜いて「語る」と言うスローバラードの曲への挑戦がない。
この「響きを抜いて歌う」というスローバラードや、「語る」というテクニックを使った歌があれば、さらに彼の音楽の世界は広がりを持ち、大人の雰囲気を醸し出してくるのである。
このジャンルの曲を彼がどのように表現してくるのか、ということも非常に興味の持てる一つである。
私が彼の歌を初めて聴いたのは昨年の『YOASOBI』のカバーからである。
それまで手越祐也という人の歌をマトモに聴いたことはなく、ジャニーズのグループの一員で退所した人、という認識しか持ち合わせていなかった。
初めて彼の歌を聴いて、正直なところ、感嘆した。
上手い、という以外に何の感想もなかった。
それからは、彼が次々あげているカバー曲の動画を聴き漁り、その度に感心した。
評論家として、純粋に「書きたい」と思った。
私が音楽評論を書くのは、自分が書くことで、その歌手の存在を伝え、1人でも「聴いてみたい」と思う人を作りたいからである。実際に、私が書いたことで、「今まで聴いてことがなかったが聴いてファンになった」という人がたくさんいる。
私の評論を読んだ人が、その歌手に興味を持ち、実際の楽曲を聴く。そしてその人の良さを知り、ファンになっていく。
これが評論家の大きな使命の一つだと思っている。
だから私は極力、歌手の側に立った評論を書くように心がけている。
自分が歌う仕事を経験してきたことから、歌手の苦労や苦悩は、他の人よりはわかると思うからである。
日本の音楽評論は、楽曲、即ち、作詞者や作曲者に対する評価が多く、歌手のパフォーマンスそのものを詳しく分析、評価するものがほとんどない。だが、楽曲は、歌手が歌って初めて息を吹き込まれ、多くの人の耳に届くのである。
歌手が歌わなければ、ただの音符と言葉の羅列でしかない。
もっとそれを表現する歌手のパフォーマンスが評価されて然るべきである。
手越祐也は、そういう意味で非常に優れたアーティストの1人であることは間違いない。
そして、彼が活動の主軸を音楽に置いたことが素晴らしい。
22日に発売されるアルバムは、非常に楽しみであり、来年の彼の活躍を私も評論に書けることを楽しみにしている。