昨日の記事にはたくさんの反応をありがとうございました。
コメントには「公開しないで下さい」と書かれたものが多く、該当の掲示板とファン社会の構図が垣間見えました。
掲示板の場所を教えて下さった方もありましたが、私は見ていません。
自分への批判をあえて見るほどの神経の図太さは持ち合わせておりませんので、そこはスルーさせて頂きました。
また、今後もその該当歌手のレビューを書くか?とのお問い合わせには、書かせて頂こうと思っています。
これは、批判云々以前の問題で、音楽ジャーナリストとして「書くべきもの」「レビューしたいもの」という私個人の判断によって決めさせて頂きます。
該当歌手の方の音楽や歌の評価と、今回のレビューへの批判とは全く別次元の話であり、レビューを書かない理由にはならないからです。
このブログには多くの歌手のファンの方が集まってこられます。
ファンにとって、お好きな歌手は絶対無二の存在でしょう。ですから少しでも自分の意見と違うことや批評の中に納得できないものが書かれていれば、不愉快に思うということもあるかと思います。
ただ、その歌手のファンでないものからしてみれば、そういう捉え方や考え方もあるのだということ、ファン以外の人にはそう受け取れることもあるのだという考え方の広がりを持ってレビューを読んで頂けると、レビューで伝えたいことの本質が読み取って頂けるかもしれません。
おそらく多くの方はそのような気持ちでこのブログを読みにきて下さっているのではないかと考えます。
ファンというのは盲目的になりがちです。
私もある歌手のファンですが、その歌手のレビューを書くときは、自分がファンであるという立場や見解をなるべく離れて公平な目でレビューを書くように心がけています。
ですから同じファンの中には、私のレビューを批判的に受け取る人も少なからずいます。
それはそれで当然なことではないでしょうか。
どんなに自分が好きだと思う歌手でも、世間一般から見れば、そうは受け取れない、という評価があることも確かなことです。
万人に好かれる歌手というのは本当に少ないと思います。
歌にはその人の人間性が必ず現れ、その人間性を加味しながら、一般聴衆は歌を聴き、その歌手へのイメージや評価を作り上げていきます。
ファンがどんなに「違う」と言っても、一般聴衆が「そうは思わない」「そうは思えない」という評価を下せば、それはそのまま一般的なその歌手の評価として社会的に認定されることが大きいです。
私のレビューは、単に歌に関するレビューを書く場合と、その歌手のインタビュー記事や番組出演時のコメント、また普段の発信などを加味して人間像に踏み込んだレビューを書く場合があります。
後者の場合には、ファンの方々と同じ印象であるとは限らないこともあるでしょう。
しかし、そういうレビューも「ファン以外の一般聴衆はそのように見ている。感じている」と判断し、ファンとして歌手の真実を知って貰えるような行動や発信をされることで、新たなファン層の開拓にも繋がっていくと感じます。
私はファン社会は新陳代謝が必要だと思っています。
長く健全で多くのファン社会を形成していくためには、コアなファン層、それほどコアではないが応援している層、そして「どちらかと言えば好きで、気に入った曲があればたまにはCDを買ったりコンサートにも行ったりする」という流動的でライトな層の3つの層が必要だと思っています。
その中で最も重要なのは、3つ目の流動的でライトなファン層です。
この部分をどれぐらい持っているかによって、その歌手の社会的認知度やポジションが決まると考えます。
この層は絶えず新陳代謝を繰り返していることが必要で、そこから2番目の層へと移行することでファン層は強固になっていくと思われます。
ファンの方は、コアなファン層があれば大丈夫だと思われている人も多いかと思いますが、その歌手が長く歌手生命を維持し続ける為には、常にファン層は流動的で新陳代謝を繰り返していなければ長くファン層を構成することは出来ません。
なぜなら、ファン層も歌手と一緒に年齢を重ねるからです。
コアなファン層が全体の割合を大きく占める場合、歌手の年齢と共にファン層は逆ピラミッドを形成し、最終的にファンが多く占める年齢層がごそっと抜ける時がやってきます。
それがその歌手のファンが歌手の年齢より高い場合に起こりがちであり、そうなると歌手は歌手生命を長く維持するのが困難になってくるのです。
ですから歌手にとって、もちろんコアな絶対的なファン層は大事ですが、それと同じようにライトで流動的なファンも大切であり、その部分を多く獲得していくことが自分の歌手生命の維持に必要不可欠になるのです。
そういう視点でレビューを捉えて頂くと、レビューを読んだ人の中でライトなファンになる人がいるやも知れず、私達批評家の大切な使命である「良い音楽を広く世間に知らしめる」という目的を遵守することにもなるかと思います。
私は私自身が歌の演奏家であった経緯から、歌を聴けばどのような練習を積んできたか、どのような部分で苦労したのかということがある程度想像つきます。
これは自分が歌の練習を重ねていく中で体験したものに基づくもので、批評家の中で私のように演奏家出身の人間が皆無に近いことから、私のレビューの特異性の一つと考えられる部分でもあります。
私はこうした自分の体験から、なるべく歌手の側に立ったレビューを書くことに心がけています。
そうすることで歌手への理解や応援が深まり、また新たなファン層を獲得していく僅かな手助けになれば幸いだと感じており、それが私の批評家としてのスタンスでもあります。
批評家の中には、あえて過激な意見や指摘をすることで、批判的な立場を取り厳しく批評する方もいますが、私は上記のような理由からそういう立場を取りません。
厳しい意見を書く場合は、そこに歌手へのさらなる精進と進歩を期待する場合が多いです。
この程度の歌で終わるはずがない、という才能への期待から書く場合が多いと理解して頂けると厳しい批評もご理解頂けるのではないかと思います。
コロナ感染拡大の状況の中、歌手の方々の置かれている環境は非常に厳しいです。
また歌手だけでなく、作曲、編曲、作詞家、バンドマン、ステージスタッフなど、歌手活動を支えるスタッフの環境はさらに厳しいものがあります。
それでもエンターテイナーの火を消すことのないように、多くの方々が努力される日々であり、その苦労も加味して我々批評家は記事を書いていくことが求められていると感じます。
今回の件では、このブログを読みにきて下さっている方で、日頃、コメントやメッセージを頂かない方からも発信を頂き、大変励みになりました。
あらためてこの場所でお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
今後も歌手の側に立ち、歌手に寄り添ったレビューを書くことをスタンスに記事を書いていきたいと思いますので、お時間のある時にはお立ち寄り頂けると非常に嬉しく思います。
どうぞ、よろしくお願い致します。
MPCJ(ミュージック・ペンクラブ・ジャパン)理事(JPOP担当)
松島耒仁子