たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

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今回は、海外でも精力的に活動を続けているRADWIMPSの野田洋次郎を扱います。彼は、現在、NHKBSドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』の辞書編集部主任役で、俳優としての才能を発揮していますね。また、ソロプロジェクトillionとしても才能を発揮しています。そんな彼の魅力について、書いてみたいと思います。

曲の全面に“ことば”が立つ

今回、連載で野田洋次郎を扱うと決めたとき、お恥ずかしいことに、彼の名前は知っていても、実際、彼の音楽、即ち、RADWIMPSの楽曲をほぼ聴いていないことに気づきました。

そして、あらためて、いろんな曲を聴いてみても、「あー、これこれ!」と思い当たる節が全くなく、ほぼ初見に近いということを感じたのです。わずかに聞き覚えがあったのは、『前前前世』だけです。

ですが不思議なことに、彼の作る音楽は、一度聴くと、すぐに耳に馴染むのです。

そんな私が感じたのは、野田洋次郎という人の作り出す歌詞の“ことば”です。“ことば”が曲の全面 に立っていて(ことばが際立つこと)、自然に耳の中に残っていく、という印象を持ちました。

メロディーか歌詞か。聴き手が惹かれるパターン

アーティストの歌を聴くとき、聴き手には2つのタイプがあると思います。
1つは「メロディー」、いわゆる曲の“音”の組み合わせに惹かれるタイプと、もう1つは「歌詞」すなわち、そこに書かれている“ことば”に惹かれるタイプです。

私は完全に前者で、メロディーと歌声という“音”が耳に残るタイプなのです。

ですから、“ことば”は、メロディーと歌詞が完全に一体化したときのみ印象に残り、“ことば”で力強く語られても、そこにあったメロディーが印象的でなければ心に残りにくいタイプの聴き手です。

ところが、野田洋次郎の曲は、“ことば”がまず耳の中に入ってくる、という状態でした。“ことば”を大切に紡ぐ人、という印象を持ちます。

これが、私が野田洋次郎という人をイメージするとき、曲はそれほど知らないにもかかわらず存在感を感じるところだと思いました。

彼は、俳優としても非常に稀有な才能の持ち主で、初めて出演したのは、2015年の映画「トイレのピエタ」です。さらにその作品で日本アカデミー賞新人俳優賞を獲得しています。

俳優として初出演したものがいきなり主演で、さらに日本映画界の最高峰である日本アカデミー賞の新人俳優賞を獲得するのですから、いかに彼が俳優としても存在感を示せる表現者であるかということを示しています。

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演技としての表現、歌としての表現

 

続きはこちらからRADWIMPS・野田洋次郎『日本語のことばの美しさを世界に広げる名手』(前編)人生を変えるJ-POP[第48回]|青春オンライン (note.com)