たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

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新春2回目は、ロックグループONE OK ROCK(以降ワンオク)のボーカリストTakaを扱います。サラブレッドの生まれにもかかわらず、非常に紆余曲折の人生を歩んできた苦労人でもあります。海外で評価の高いワンオクとボーカリストであるTakaの歌について、書いていきたいと思います。

前編はこちら

ロックが反骨精神の象徴といわれる理由

ロックは「反骨精神」と話すTakaは、近年、アメリカのロックが衰退して来たと感じていると言います。

8年前にアメリカのロサンゼルスに拠点を移した彼は、「ここからが本当のスタート」との決意で活動を始めます。日本で手探り状態から始めたワンオクの活動。その体験を基にして、「アメリカでも同じことを始めるだけ」と言うのです。

ここで少し、ロック音楽がこの世の中に誕生してきた経緯について書いてみたいと思います。なぜなら、Takaがなぜ、アメリカでの活動にこだわるのか、ということの理由が、ロック誕生の歴史的背景にあると感じるからです。

ロック音楽の発祥の地はアメリカです。ロックは、黒人音楽のリズム&ブルース(R&B)と白人音楽のカントリーが融合した音楽として、定義づけられていますが、今から、約60年前に生まれました。

それまでのアメリカでは、やはり、その歴史的経緯から、黒人の音楽と白人の音楽のせめぎ合いのようなものが繰り広げられていました。

イングランドやアイルランドの移民達によるトラディショナル・フォーク、クラシックから派生したラグタイムや、黒人に扮した白人の大道芸ミンストレル・ショーなどの音楽が初期のアメリカ音楽を形成していたと言われています。

その中から、ゴスペル(黒人霊歌)やジャズ、ブルース、フォーク、カントリー、R&Bが生まれてきます。

そして、1940年代に起きた米ソ冷戦という鬱屈とした時代を背景として、若者達が抱いていた欲求不満のはけ口としてロックンロール音楽が生まれて来たのです。その代表的なスターがエルヴィス・プレスリーでした。

彼の腰を振って歌い踊る姿は、「反骨精神の象徴」と言われ、やがて彼の音楽はイギリスへ渡っていきます。彼の影響はその後、イギリスでThe Beatlesを生み出します。

1960年代には、The Beatlesも強く影響を受けたとする「フォークの貴公子」と呼ばれたボブ・ディランによってアメリカではフォークソングとロックンロールとの融合による「フォーク・ロック」という作品が生み出されます。

これは、The Beatlesと似たルックスを持つBYRDSが、ディランの「MR.TAMBOURINE MAN」をロック・スタイルでカヴァーしたことから一大論争が巻き起こり、その後、このサウンドで多くのバンドを輩出。アメリカのロック界は息を吹き返した、と言われました。

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70年代になるとアメリカではベトナム戦争に突入。敗戦に終わったこの戦争は、アメリカの民衆意識に大きな変化を与えていきます。

60年代のロック・スター達が次々他界し、敗戦を通して挫折感や疲労感を覚えながら、自分を見つめ直すという作業を人々に与えていくことになります。

自ずと音楽の傾向や作品にもその影響は表れ、ジェイムス・テイラーやキャロル・キングなどのいわゆる「シンガー・ソングライター」という人達によって個人にフィットした新しい音楽が生み出されていくのです()。

このようにロック音楽発祥の地であるアメリカは、ロック音楽が生まれてきた背景に、黒人と白人の歴史や、ベトナム戦争という時代背景が強く影響を与えていることがわかります。

即ち、ロック音楽というのは、その時代、時代の出来事や社会に対しての「反骨精神」から生まれ出てきた音楽だということが言えるのです。

Takaの原動力にある「怒り」

 

続きはこちらからONE OK ROCK”Taka“『反骨精神でロックシーンを取り戻すJAPANロッカー』(後編)人生を変えるJ-POP[第42回]|青春オンライン (note.com)