たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

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新年の年明けは、ロックの帝王矢沢永吉を扱います。一昨年にデビュー50周年を迎え、74歳という年齢を感じさせないパワフルなステージを展開し続ける矢沢永吉のデビューから現在に至る経緯と多くのファンを捉えて離さない彼の魅力について書いてみたいと思います。

フォークソングブームの真っただ中で始めたロックバンド

矢沢永吉は、現在74歳。広島県出身です。両親と早くに別れた(母とは3歳で離別、父とは小学生の時に死別)彼は、親戚の家を転々とした後に、祖母に引き取られるという不遇な幼・少年期を過ごしています。

小学校5年生の夏からアルバイトを始めて、家計を助けたというのですから、如何に経済的にも恵まれない少年期だったかがわかるほどです。(矢沢永吉オフィシャルサイトより)

彼と音楽との出会いは、中学生のとき。ある日、FMラジオから流れてきたビートルズの曲との出会いが、彼の音楽の始まりだったと言います。

その後、高校を卒業し、彼は東京を目指して夜行列車に乗りますが、たまたま耳に入ってきた「横浜」のアナウンスに、ビートルズの出生地リバプールを重ね合わせて、横浜で下車し、そこから音楽の道を目指したのでした。

横浜では、レストランなどでアルバイトをしながら、バンドを結成してライヴを行っていました。なかなか日の目を見ない毎日を過ごすのは大変な忍耐力を要求される日々でしたが、1972年、彼が23歳の時、内海利勝、大倉洋一の2人と一緒に、「CAROL(キャロル)」を結成します。

この頃の日本の音楽業界は、フォークソングブームの最盛期で、「反戦歌」「四畳半フォーク」といった当時の時代背景を題材にする音楽が流行していました。

そんなときに彼はロックバンド「キャロル」を立ち上げ、演奏する場所のオファーと予約やメンバーの送迎など、マネージャー業全般を彼自身が行いながら、反面ではデモテープを作って送ったり、オーディションに参加したりもしていたのです。

たまたまフジテレビの若者向けの番組『リブ・ヤング』の出演オファーを受けることがあり、黒の革ジャンにブーツというステージ衣装で出演したところ、その番組を観ていた音楽プロデューサーのミッキー・カーチスの目に留まるという幸運に恵まれました。

そうやって、日本フォノグラム社との専属契約が結ばれ、12月25日のクリスマスの日にシングル『ルイジアンナ』でバンド「キャロル」はメジャーデビューを果たしたのです。

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加熱する人気と、過激化するファンたち

続きはこちらから矢沢永吉『50年、変わらない歌声を披露し続けるロック界の帝王』(前編)人生を変えるJ-POP[第41回]|青春オンライン (note.com)