ジェジュンの新曲、『六等星』はジュンスとのコラボ曲ということで配信されており発売もされるが、CDの方にはジェジュンのソロバージョンも収録されている。
そのソロバージョンをラジオ番組「オールナイトニッポンX」で聴いた。1番だけの解禁だったが、それで大まかな感じはわかる。
この曲は、やはりソロとして歌うことを前提に作られている曲だった。
最初に聴いた時の私の印象は、彼が番組内で「最初、この曲はソロ曲として貰ったのを、自分からジュンスに声をかけてコラボ曲にした」という発言からも裏づけされたし、何度コラボver.を聴いても違和感が拭えなかった。
以下は、コラボ曲とソロver.の聴き比べによる所感。
私がコラボ曲に感じた違和感とは、2人の歌声の違い。
ジェジュンは「もう何年も一緒に歌っていなくてもすぐに一緒に歌える。さすがにメンバーだ」という発言をしたが、
彼がそういう感覚を持ったことを否定はしない。あれだけ一緒に歌ってきたのだから、当人にしかわからない阿吽の呼吸(あうんの呼吸)というものがあるということは承知している。
しかし、それとは全く別にグループ活動(JYJでの活動はジュンスメインの為に省く)から10年以上経った2人の歌声が合うのかといえば、ハッキリ言って5人の頃のような統一感はない。
その大きな要因は、ジェジュンの歌声にある。
ジュンスの歌声の変化はそれほど大きくないが、ジェジュンの歌声の変化は、5人時代とは全く違うと言ってもいいほどの違いを見せる。
5人時代の彼の歌声は、もっと無色に近い透明感のある歌声だった。
しかし、彼はソロ活動をする中で、歌声の色彩が大きく変わった。
これは一つにソロ曲を歌うことによって、低音部から高音部まであらゆる音程を歌わなければならなくなったことが挙げられる。即ち、5人時代は明らかにジェジュンは高音部を担当していた。その為、サビのメロディーラインは、彼の音域に合わせて作られているものが多い。即ち、中音域の高めから高音域にかけてだ。その音域は、彼が発声を変えたことによって、後天的に伸ばした音域である。
それに比べて、ジュンスの場合は、元々持っていた音域と発声で5人時代を歌っていた。さらに彼がソロとして活動しているのは主にミュージカルだ。彼は元々の発声と音域を使って、ミュージカルの楽曲を歌っていると考えられる。その為、響きにハスキーさが増している以外、それほどの変化は見られない。但し、このハスキーな歌声が今後、どのように変化していくかは注視するべき部分でもある。なぜなら、ハスキーさが現れている原因が加齢以外に考えられる場合は、ポリープや結節といったミュージカル俳優が陥りやすい声帯の故障に繋がりやすいからだ。長期の長時間の公演は、声帯に大きな負担をかける。それを解消するには、定期的なメンテナンスが必要になる。そのメンテナンスとは、公演回数の制御や、スケジュールの管理だ。事務所を出て、個人で管理していく環境になったことが、今後の彼にどのような影響を与えていくかは、彼と周囲次第、ということになる。コントロールを間違えれば、氷川きよしをはじめとする多くの歌手のような故障に繋がりかねない。ジュンスがどのような状況でこの曲の録音に臨んだのかはわからないが、ハスキーさが以前より、全音域に跨っていることが非常に気になった。そして、私が予想していたより声量が不足しているのも気になる点である。
かたや、ジェジュンの方の歌声が変わった要因の1つは、ロックを歌ったことが挙げられる。
ロックを歌うには、力強い発声が必要になる。
元々、彼の歌声は少し幅のあるソフトな声色の歌声を持っている。これはデビュー直後1年間の彼の歌声を聴くとよくわかる。その歌声を日本向けに細く透明的な色彩の歌声にカスタマイズした。
青年期の声帯の未完成期と重なって、その発声は非常に透明性のある清涼感溢れる歌声になった。これは、青年期の声帯は筋肉も柔らかく非常に粘膜も薄いことによる。しかし、年齢を重ねるに連れて、声帯の粘膜は分厚くなるのが常だ。20代後半になると成熟期に入り、粘膜も少しずつ分厚くなってくる。そうなると歌声は色彩が濃くなる。
さらに彼の場合、満足に歌えなかった。その為、全体に練習不足となり、声帯はどうしても分厚くなりがちだ。またロックを歌う中で、力強い歌声やシャウトする歌声を出すには、声帯に力を入れて歌うことが必要になる。響きが抜けてしまわないように、どの音域も強い歌声が要求される。
そうやって彼の歌声は、色彩の濃い歌声に変わった。しかし、結果的にそれが彼のソロ歌手として活動するには、非常にプラスになる歌声でもある。なぜなら、彼のような響きの美声を持つ歌手は少ないからだ。多くの歌手の場合は、もっと単純でストレートな響きになるからだ。
この歌声で彼が日本語の楽曲を歌う場合、さらにそれは魅力的な歌声に変わる。なぜなら、彼の意識の中に、かつての歌声の発声ポジションが残っているからだ。そこへ声を当てようとすると響きはさらに明るく綺麗な響きになる。
そうやって彼の歌声は、かつての5人時代の歌声とは全く違うものになっている。
そして、彼の歌声との親和性を考えた時には、ストレートな歌声を持つ相手との相性が良くなる。そういう特性から考えると、これまでコラボした相手でハーモニーとして融和していたのは、城田優とMayJだけである。
この2人は、ストレートボイスで、それほど濃厚な色彩を持たない。その為、彼と歌うと彼の歌声の色彩にピタリと寄り添って非常に綺麗なハーモニーを奏でる。
即ち、ジェジュンの歌声は5人時代と異なり、コラボする相手を選ぶ、ということだ。
そうでなければ、お互いがお互いの個性を潰し合いかねない。
そういう点で、ジュンスの歌声とはマッチしないと私は思った。なぜなら、ジュンスには、ハスキーな歌声の中に独特のビブラートの響きを持っており、その波動と合致する歌声は、これもまた相手を選ぶからだ。
即ち、感覚的には5人時代の感覚が彼らの中に残っていても、出来上がってくるハーモニーは、かつてのハーモニーとは全く違うというものである。
また、今回の楽曲はコラボを想定していない為、ハーモニー部分も少ない。サビのメロディーは、ジャニーズのように同じメロディーを2人で歌うことが主体という形になっている。これも5人時代には考えられなかった構成であり、コラボしてハーモニーを聞かせる、という点で、ファン以外の聴衆にメリットを感じさせない。
これが私の今回のコラボ曲に関する素直な感想だ。
では、ジェジュンソロバージョンはどうだったのか、といえば、初見の印象は、やはり、なぜ、ソロで歌わなかったのか、というものだった。
ソロバージョンを収録するなら、最初からソロで押し通すべきだった。なぜなら、この楽曲はやはりソロで歌うのにちょうどのスケールだからだ。
ファン以外の一般聴衆が聴いた時、ソロで統一された歌声の方がしっくりくる。
歌い出しは、ソロもコラボもジェジュンの歌声だ。
この音程は彼にとっては、ちょうどボイスチェンジ(いわゆるチェストボイスで歌っても歌えるし、ミックスボイスに変換しても歌える音域)だが、彼は最初からミックスボイスで歌っている。その為、低音域の歌声は少し響きが不安定になりがちだ。ここは歌い手としては非常に迷うところ。彼はミックスボイスのままで歌い通している。
この歌声を聴かされた聴衆は、この音色のままでの展開を予想する。
だから彼1人の歌声の方が自然なのである。または、ジュンス1人の歌声かだ。
即ち、楽曲としてソロ曲として作られているものをコラボする場合は、最初から構成を大幅に変えることが必要になる。そうでなければ、音楽番組でたまたまコラボして楽曲を歌いました、程度のパフォーマンス力しか発揮できない。
即ち、楽曲にコラボ曲としてのインパクトがないのである。
ソロ曲としてのインパクトしかない。
コラボ曲でヒットさせるのなら、コラボ曲として楽曲に強さがないと聴衆の心を掴むことは出来ない。
ヒット曲というものは、楽曲の強さが非常に大きく影響している。即ち、楽曲にそれだけの力があるかどうかだ。
例えば、同様にドラマの主題歌であるKing Gnuの『カメレオン』さらには三浦大知の『燦燦』などは、その歌い出しを聴いただけで、ヒットの予感をさせる。それだけ楽曲に力を持っている。
楽曲がヒットするには、ファンの力だけでなく、一般聴衆の力が不可欠だ。
即ち、たまたまどこかの店で耳にした、または、CDショップにフラーっと入ったら、耳に入った。
いい曲だと思った。興味を持った。
そうやってファン以外の一般聴衆がどれぐらい支持するかにかかっている。
ドラマの主題歌というものは、そのドラマを見るたびに必ず流れてくる。
そのドラマの視聴者がたまたま耳にして、いい曲だと思う。
誰が歌っているのかと調べる。
いい曲だよ、と友人に話す。友人がその曲を聞いてみる、確かにいい曲だ、と言って、また友人に勧める。
こういう構図がないとヒットしない。即ち、ヒット曲というものは、一般聴衆によって作られるのである。
だから、2人がコラボしようと、一般聴衆には何の関係もない。話題性も一部のファンやメディアでのものであって、一般聴衆が話題にするほどのインパクトを持たない。
それなら、1人で歌った方がまだ存在感を知らせることが出来る、という点で有利だと私は思う。
メディアや、ファンが思うほど、一般聴衆はかつての東方神起を覚えていない、ということである。
これが現実であり、日本社会の常識である。
東方神起が活躍していた頃の音楽界と現代のJ-POPでは大きな違いがあり、その中で一般の聴衆の感覚も変わってきている。これが現実と感じる。
だから、私にはコラボ曲としてのメリットを感じられないのである。
ジェジュンの歌声は、この楽曲の世界観に非常によく合っている。
だから彼が指名されたのだろうし、その選択は間違っていない。
今回のコラボは、ファンの間でも賛否両論に別れて、いろいろな思いが交錯していると聞いている。
そういう思いをさせること自体が、楽曲のイメージへのデメリットと感じさせる。
日本の業界は厳しい。
その意味をもう一度、よく関係者は考える必要がある。
今回の選択によるファンの動向は、プロデュースの方向性を間違えると、活動そのものが成り立たない可能性を示唆する出来事であり、なぜ、ジェジュンという歌手がソロ歌手として日本で活動できているのかということを、もう一度、よく考えてみる必要がある、と思った。
ファン社会の中にどっぷり浸かっていては、決してわからないことがある。
ジェジュンという人が、今までの韓国人歌手のように、数年の活動で終わるのか、それともしっかり日本の音楽界に根ざして存在感を示し、長期に安定した活動ができる歌手になるかは、この数年で決まるだろう。
それは、彼が今にどれぐらい注力できるかにかかっている。
人は過去にも未来にも行くことは出来ない。
今、目の前に与えられた環境の中で精一杯、与えられたものを行っていく。
それしか出来ないのである。
そうすれば、彼にとって一番いい形に人生は流れていく。
彼が望む、望まざるに関わらず、それは真理だからだ。
歌手として活動したいなら、今、彼は、どの場所で、どういう形で歌手活動が与えられているのか、それをもう一度、よく考えてみること。
それが今後の彼の方向性を決める。
そう思う。
久道りょう