AimerがTHE FIRST TAKEで歌った『カタオモイ』と『残響散歌』の2曲を聴き比べてみた。

すると彼女が主に2つの歌声を持っていることと、曲によって、それを完全に使い分けていることがよくわかった。

彼女の持つ主体的な歌声は2つある。

1つは、ブレス音の混ざった透明的で無色に近い音色の歌声だ。

これは、『カタオモイ』に用いられている歌声で、この楽曲における彼女の歌の特徴は、非常にブレス音を混ぜた歌声で透明的な色合いを現していることに尽きる。

言葉のタンギング(アタック)もそれほど鋭くなく、凸凸と淡々と言葉を紡いでいく。またこの歌で使われている彼女の歌声にはビブラートがほぼなく、ストレートボイスに近い為、その歌声は、非常に中性的で、ある意味、男性のハイトーンボイスの色合いにも似通ったものがある。

この透明的で無色に近く、中性的な色合いの声に対し、もう一つの歌声は全く様相を変える。

それは、彼女のもう一つの歌声であるファルセットからのヘッドボイスで、全体的に濃厚な色合いの歌声である。しかし、こういう色合いを持つ歌手にありがちな幅の広さやソフトな音色は見られない。

どこまでも彼女の場合、色がついており、完熟した女性の歌声を呈している。

この歌声が、『残響散歌』に使われている歌声である。

この曲は、アップテンポのエネルギッシュでアグレッシブな楽曲であるが、この楽曲を彼女は、終始、ヘッドボイスで歌っている。それは、最後のフレーズ「ざんきょう」のフレーズの切り方一つに非常によく現れているのである。

このフレーズをもし、彼女がチェストボイス(地声)かミックスボイスで歌っていたなら、もっと言葉のタンギングは鋭角に入ってきており、細く鋭く直線的な響きをしているはずである。

しかし、彼女の歌声は、太目の響きを保ったまま、プツンと切れている。切れたあとに残響があるのだ。

そうまさしく『残響』

この響きを意識して歌うことが、全体の歌声をヘッドボイスで歌うことの選択へ繋がっていると考えられる。

 

一般的にクラシックではなくポピュラーの歌手がヘッドボイスで歌うのは、非常にテクニックを要することが多い。

なぜなら、ヘッドボイスは、どうしても全体的にソフトな響きになりやすく、またボリュームダウンに繋がることが多いからだ。いわゆるファルセットからの転換であるヘッドボイスを、チェストボイスやミックスボイスと同じだけのボリュームで歌いこなすには、相当の鍛錬と確かなテクニックが必要になる。

ヘッドボイスは、その歌声を当てる場所によって、様々な音色になりやすく、またテクニックをしっかり身につけていなければ、自分の身体の中に響きがこもって、声が外へ響きにくいという難点がある。

その為、ヘッドボイスを主体とするオペラやミュージカル歌手は、声を当てる場所を出来るだけ顔の前面に持って来ることが多い。即ち、鼻柱から額にかけての空洞に声を当てて響かせていく。

このフロントボイスのポジションを掴めなければ、歌声が明瞭に響いていかないからだ。

このテクニックを身につけるのに多くの鍛錬を要する。

 

彼女の場合、この歌に使われている歌声を検証すると、見事にフロントボイスのポジションに歌声が当たっているのがよくわかる。それゆえ、アップテンポの楽曲の中でも歌声が内にこもること無く、しっかりと身体から離れて空間に響いているのだ。これは、彼女の体幹の筋肉の強さをそのまま物語っているとも言える。

 

このように、彼女の歌声の主たるものは2種類あることがわかる。

この2種類の歌声を歌い分けれるところに、彼女の歌手としての強みがあると言える。

 

もし、2曲を聴く機会があるなら、今書いたような点に注力して聴いてみるといい。

彼女の魅力的な、かつ、正反対の音色を楽しむことが出来る。