これは一押しの彼女に対するファン目線満載の記事です(笑)
紅ゆずるのメディア露出が止まらない。
退団後、ひっそりと鳴りを潜めて消息不明になっていた頃が嘘のようだ。
2月の「紅ing!!」、3月は福岡の博多座で越路吹雪40忌記念コンサートの出演が予定されていたがコロナの影響で中止になり、6月の新橋演舞場での三宅裕司の熱海五郎一座への出演までお預けかと思いきや、そうではなかった。
朝日新聞のお悩み相談「紅ゆずるのお悩み聞いてくれない?」の連載コラムに始まり、今度は大阪府警の春の全国交通安全運動の広報イメージガールに登場した。
彼女は、府警の「横断歩道ハンドサイン運動、歩行者優先」を掲げ、「ドライバーの皆さん、ゆずって紅?私はゆずる!」と大真面目にスローガンを声高に言う。
朝日新聞も府警も彼女の芸名にすっかり引っ掛けた格好だが、彼女だからこそ許される駄洒落の世界だ。
タカラジェンヌ時代からコメディーセンスに溢れていた彼女ならではの扱いにはファンも納得する。そして、この守備範囲の広さこそが紅ゆずるの強力な武器だと思う。
彼女が今まで宝塚にはいなかったタイプと呼ばれる所以はここにある。
彼女ほど、タカラジェンヌ身近に感じさせ、親近感をファンに持たせたスターはいなかったと思うからだ。
霞を食べているフェアリーのタカラジェンヌ達は、非常におしとやかでお上品だ。アイドル以上にイメージと夢を売る仕事の彼女達にはオンとオフの区別は許されない。
舞台を降りたオフであっても、霞を食べ夢の世界に生きている。いつもイメージを逸脱しないことが大切だ。
105年という脈々たる歴史の上に成り立つのは、上品な愛と夢の世界。観客は夢を買いに宝塚に通う。
決して現実にはいないであろう男装の麗人と疑似恋愛の世界に浸る。少女時代にありがちな同性への憧れの世界がそのまま大人になっても広がっている世界。2.5次元の世界の麗人と淑女の恋物語をファンは観に行く。それは、ひとときの現実逃避の世界だ。だから、彼女達は決してファンの前で食べ物を食べる姿は見せないし、年齢も本名も不詳。あくまでも男装の麗人と淑女達なのだ。
そんな世界に紅ゆずるは、親近感を持ち込んだ。
大阪名物の「たこ焼き」の店に並び、全国チェーンのオムライスの店で食事をする。
決して食べる姿は見せなくとも、彼女の口から庶民の食べ物や店名が発せられる度に、彼女は現実の人なのだとファンは認識する。
運転のできない彼女は、実家へ帰るのに大阪の路面電車を利用する。
隣に座った老婦人から「ウチはよう知らんけど、あんた、絶対芸能人やろ?」と言われたと笑ってエピソードを話す。
その度にファンは、「ああ、彼女は電車に乗るのね」と思う。
手の届かないトップスターが高級車に乗らずに路面電車に乗って実家へ帰る。
その素朴感、飾らない素顔が、彼女の最大の魅力だ。
彼女が持ち込んだのは、宝塚のトップスターでも普通の人と変わらないのよ、という親近感だ。
おまけにヅカ言葉ではなく大阪弁丸出しのトーク。
どんなに澄ましていても大阪弁のイントネーションは残ったままだ。
その度にファン達は彼女が普通の人なのだと感じる。
そんな彼女が最も得意とするのがコメディーなのだから、既存の2枚目トップスターとは大きく違って当たり前だった。
紅ゆずるは、宝塚で我が道を行った。
当然、昔からの宝塚ファンやイメージを大事にしてきたファンからは、タカラジェンヌらしくない、下品、と批判された。
それでも彼女の芸風は劇団の演出家達に気に入られ、彼女でなければ演じれないような作品、落語の「地獄百景」を題材とした「アナザーワールド」を提供されたかと思えば、「うたかたの恋」や「エルベのほとり」などの宝塚の伝統的古典名作も提供された。
そこに、計算され尽した彼女の演技力を高く評価された結果が現れている。
16年に及ぶ下積みは、紅ゆずるにたくさんの引き出しを与えた。どんな小さな役柄でも一生懸命に自分で演技を考える、というオリジナル性を身につけさせた。その基礎力の上に彼女のコメディーセンスは成り立っている。
コメディーを演じるにはセンスと機転の良さが必要になる。
ちょうどのところで切り上げなければ、脱線するし、下品にもなる。
彼女もすべったり、叩かれたりしながらも、演技力を磨いてきたと言える。だからこそコメディーから正統派2枚目の役柄までこなす守備範囲の広さを持つのだ。
退団後のフェアリー達の第一関門は、現実の人になることだ。
フェアリーは地上に降りて、ご飯も食べ、普通の人になる。
今まで夢の世界にいた人がいきなり現実の世界の人になる。
ファン達が感じる違和感をどう乗り越えられるかが、退団後の活動がうまく行くかどうか、うまく転身していけるかどうかの分岐点になる。
紅ゆずるは、その点、退団してもそれほどの変化も感じなければ違和感もない。
宝塚で作り上げた紅子と紅5(ファイブという5レンジャーのようなもの)という強烈なキャラクターをそのまま持ち続けて、現実の世界に降りてきた。
ダジャレとも言える朝日新聞のコラムのタイトルや、大阪府警のスローガンも、彼女だからこそ違和感もなければイメージも損なわない。
ファンから言わせれば、「いつものさゆみちゃん」だ。
6月に行われる熱海五郎一座へのゲスト出演も、彼女の役柄は女性将校という男役をそのまま引っ張ってきたような役柄だが、それも紅ならではの役柄と言える。
宝塚のトップスターが退団後、どのように変化していくかは、その人の持つ伸び代と引き出しの多さにかかっている。
宝塚時代に伸び切ってしまっていれば、どんなに素晴らしいトップスターであっても、退団後は殻を打ち破ることは出来ない。
芸能界という現実の世界にうまく適応できるかどうかは、ある意味、それまでのイメージを捨て切れるかどうかにかかっている。
そういう点で彼女は、元々、タカラジェンヌのイメージから逸脱していた。
その彼女が、今後、どのように変化していくか、ぜひ見届けたい。
なぜなら、彼女は私の一押しの推しメンだからである。