紅ゆずると言えば、スカピンに始まりスカピンに終わる、と言ってもいいほどミュージカル「スカーレット・ピンパーネル」は彼女を語るのに外せない一作だ。

そして「ひとかけらの勇気」はその主題歌でもある。

「スカーレット・ピンパーネル」は、パルロス・オルツィの小説「紅はこべ」を原作としたブロードウェイミュージカルだ。宝塚版は小池修一郎が潤色・演出を担当して上演されている。オリジナルのブロードウェイ版がフランス革命を否定的に表現したコメディ作品だったのに対し、小池修一郎は劇団の代表作である「ベルサイユのばら」を考慮して、シリアス寄りに潤色した。

ワイルドホーン作曲の主題歌である「ひとかけらの勇気」と共に、原作からルイ17世(ルイ・シャルル)救出エピソードを復活させストーリー上の重要な要素としている。

宝塚では、2008年、2010年、2017年の3度上演されている。

 

ファンであれば誰でも知っている紅ゆずるとスカピンとの切っても切れないエピソードは簡単に言えば、2008年の初演当時、全くそれまで、端役すらつかなかった紅が新人公演でいきなり主役のスカーレット・ピンパーネルに大抜擢された演目である。

研究科7年生(宝塚では原則劇団員は生徒と呼ばれ、音楽学校卒業後、1年目を研1、2年目を研2、以降順次在団年数に応じて学年が上がって行くシステムを取る)の新人公演出演最後の作品(新人公演は、本公演と同じ演目を研究科7年生以下の生徒で全く同じように演じるものであり、研究科8年以降は出演出来ない)において、彼女自身も青天の霹靂ともいうべき大抜擢を受けた。

さらに彼女が在団16年目にしてやっと掴んだ星組トップ男役のお披露目公演もこの作品であり、以降、紅ゆずるを語るには切っても切れない演目である。原作のタイトル「紅はこべ」の「紅」という文字からもファンにとって「紅による紅のための作品」という想いが強い。

 

前置きが長くなったが、その主題歌である「ひとかけらの勇気」は余りにも有名な曲である。

「どうしてだろう…」から始まるこの歌は、劇のほぼ冒頭部分に主役のピンパーネルによって歌われ、その後、革命軍の厳しい追求の中、ルイ・シャルルを救出する為に奔走する彼の勇気の歌として扱われる。

どんな困難な状況にあっても「ひとかけらの勇気」さえあれば、人は前に進むことが出来る。「ひとかけらの勇気」はどんな人にだって持てる。そしてきっと願いは叶う、というメッセージになっている。また、この曲によって躊躇する背中を押される。

非常に甘美で切ないメロディックな曲である。

 

スカーレット・ピンパーネルは、安蘭けいの代表作とも言われ、歌唱力豊かな彼女の歌が定番でもある。外部公演では石丸幹二が演じ、歌唱力を問われる一作でもある。

この曲を紅は、紅らしく歌ったと私は思う。

 

紅ゆずるを揶揄する人々は、彼女の歌唱力を卑下する。宝塚を扱う有名なブログでも彼女の歌、ダンスに対する酷評を何度も読んだ。しかし、その度に私はそうかな、と思う。

確かに彼女はドンベベに近い成績で入団した。そして7年目に掴んだ新人公演でのこの役の歌唱力は、本役の安蘭けいとは比べ物にならないものだったかもしれない。それでも私は彼女の歌に彼女らしさ、彼女にしか持ち得ないオリジナル性を感じる。だからこそ、演出家の小池氏は彼女を抜擢したに違いない。

音楽学校、在団時、常にいい成績を取ってトップに就任する人は多い。確かに歌も上手く、ダンスも完成されており、演技力もある。三拍子揃ったスターは多い。でも私には、その人達が就任後、大きく飛躍して行ったという記憶が余りない。

紅は確かに三拍子揃っているとは言えない。しかし、彼女の最も魅力的な部分は、常に「進化し続けている」ことだ。

優等生でないから枠に捉われない。何をやっても優等生好きのファンからは批判されるのだから、彼女のやりたいようにやれる。その強みが彼女の持ち味だったと言える。

 

「ひとかけらの勇気」の歌唱力の点で、新人公演からトップお披露目までの間に彼女は飛躍的に伸びたと感じる。

それは言葉の処理、フレーズの収め方、響きの抜け感にある。

彼女の持ち味は中音域から高音にかけての「鳴りのいい音質」にある。

ストレートボイスのピンと張った混じり気のない綺麗な音色は、スコンと響きが抜けて客席の後方まで飛んでいく。響きの混濁がないため、非常に澄んだ音色だ。新人の折には、言葉の処理や抜け感がなく元気いっぱいの歌という初めて大役を貰った新人にありがちなスタイルに留まったが、流石に9年という歳月を経ての歌には、舞台人としての進化の跡がしっかりと感じられるものになっていたと思う。

ピンと張った歌声と響きを抜いた透明な歌声とのコントラストで彼女はピンパーネルの苦悩と決意を見事に表現している。

ミュージカルにとって一番必要なのは、この演技的歌唱力であって、どんなに素晴らしい歌声で上手く歌っても、そこに演技力がなければ観客の心の中に深く届かない。反対にそれほどの歌声に恵まれなくとも演技的歌唱力さえしっかりしていれば、観客を感動させることが出来る。

新人公演と本公演の彼女の歌唱力を聴き比べれば、その差は歴然としており、さらに彼女が9年の間に多くの努力を積み重ねてきたことがわかる。

 

彼女は未完の大器だ。

宝塚という枠にさえ収まりきらなかった彼女は、退団後もさらに進化し続けている。

 

「紅-ing!!」で披露した「ひとかけらの勇気」は在団時とはまた別の女優紅ゆずるの歌声だった。

そこには男役としての気負いはなく、一人の人間として、多くの人達の背中を押したい、という彼女のメッセージが込められているように感じた。

 

誰でも「ひとかけらの勇気」さえ持てば、一歩を踏み出すことが出来る。

私も頑張るから、みんなも頑張って!

 

女優という道を踏み出した彼女のファンに対するメッセージが込められた歌声だった。

 

後ろは振り返らない。

紅ゆずるは、紅ゆずるの道を歩いて行く。

 

そう思った。

 

 

進化し続ける人は強い。

進化し続けれるかどうかは、それまでの自分を捨てれるかどうかにかかっている。

彼女の潔さは、過去を振り返らない。

 

彼女はスカーレット・ピンパーネルそのものだ。

「ひとかけらの勇気」は、紅ゆずるによく似合う。