たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
今回はエレファントカシマシのボーカル、宮本浩次です。エレファントカシマシと言えば、1980年代から活躍している日本の代表的なロックバンドであり、宮本はそのボーカリストですが、近年、彼はソロ歌手としての活動を広げています。ソロアーティストとしての宮本浩次に焦点を当て、彼の音楽や魅力に迫りたいと思います。
デビュー30周年を経て、さらに新たな世界へ
最初に、こんなことを書くと、ファンの方からお叱りを受けそうなのですが、長年、私は彼の名前を「みやもとこうじ」だとばかり思い込んでいました。正しくは「みやもとひろじ」ですね。
今回、彼を扱うにあたって、資料を集めている中で、「ひろじ」さんだということを知りました。名前の読みは難しいですね。
さて、ミヤジの愛称で親しまれている彼ですが、1966年生まれの57歳。東京都の出身です。
小学校2年生のときに東京放送児童合唱団(現NHK東京児童合唱団)に入り、活動をしていました。その後、バンド活動をするようになって、1988年にロックバンド“エレファントカシマシ”のボーカリストとしてメジャーデビュー(実は、その後、あまり売れず所属レコード会社Epicから契約解除されたこともありますが、現在はユニバーサルミュージックジャパン所属)。
以降、『今宵の月のように』などのヒットを経て、日本のロック界の代表的グループの1つとして30数年、活躍し続けてきました。
そんなバンド活動の30周年記念ツアーを終えて、彼は、2019年からソロ歌手としての活動を始めています。
2017~2018年にかけての30周年のツアーが成功裏に終わり、NHK紅白歌合戦出場も果たした後の彼のソロ活動宣言は唐突にも見えましたが、彼曰く、ソロ歌手活動はずいぶん前から決めていたことだとか。
彼にとってソロ歌手の活動をするというのは、元々あった顔を取り戻すような感覚だったと言います。
児童合唱団に在籍していた1976年には、彼の独唱による『はじめての僕デス』という曲でレコードが出ました。この曲は「みんなのうた」でオンエアされて、当時の小学生なら誰でも知っている、というぐらいヒットしたものなのです。(※)
そういう経験から、彼の中では、ずっと自分はソロ歌手なのだという感覚があったとか。(※)
ただ、それまでは全て“エレファントカシマシ”のクレジットで出してきた彼が、初めて個人の名前“宮本浩次”で出すことに、ソロ歌手として歩むことへの決意があったように感じます。
「いつまで歌えるのだろうか」という思い
続きはこちら宮本浩次(エレファントカシマシ)『60代を前に宮本浩次として進化し続ける』(前編)人生を変えるJ-POP[第31回]|青春オンライン (note.com)