非常にお恥ずかしい話だが、昨年の今頃、ミュージック・ペンクラブの音楽賞新人賞の選考会で彼の名前があがってくるまで、実は私は彼の存在を知らなかった。
私が所属するミュージック・ペンクラブ・ジャパンというのは、日本の音楽評論家の唯一の団体で、クラシック、ポピュラー、オーディオの3部問の140名余りの評論家やクリエイター達が所属しており、50年以上の歴史あるペンクラブでもある。
そして、例えば、ポピュラー部門には、高名な湯川れい子氏も在籍するような、いわゆる日本の音楽評論を牽引してきたレジェンド達が多く所属する団体なのである。
そのペンクラブの代表的な活動の一つに、音楽賞選考と授与というものがある。
これは各部門に於いて、いくつかの賞が設定されているが、共通の賞として、新人賞がある。
この新人賞に昨年度は、J-POPの藤井風が選ばれたのだった。(因みに2019年度最優秀作品賞は氷川きよしの『限界突破✖️サバイバー』新人賞はKing Gnuが受賞している)
選考会では、選考委員が各賞1人ずつの候補者の名前と推薦文を出し、全会員の投票によって受賞が決まる。
その選考会は毎年2月に行われるが、1月に全会員に対して、候補者の一覧表と投票フォームが送られ、期日までに会員は記入をして返す、という仕組みになっている。
そこで私は彼の存在を初めて知ったのだった。
「岡山弁で歌うシンガーソングライター」ということで推薦した委員が紹介していたのを覚えている。
投票をするまでの期間に、候補者の歌や音楽を実際に聴いてみる、という作業をする中で、藤井風は他の候補者に比べて、存在感が圧倒的に違っていたのを覚えている。
彼が新人賞に決まった時、「今年、彼は必ずバズる」と確信したし、周囲の人にも「藤井風を聴いてみて」と随分勧めたものだった。
ところが、結構、彼の存在は知られていた。
例えば、昨年知り合った映像ディレクターや出版プロデューサーという社会的ポジションの高い男性も、私がJ-POPの音楽評論家ということで、J-POPのアーティストの話になった時、必ず出てくる名前に「藤井風」がある。
「彼は良いよね」というのである。
もちろん、30歳になった私の息子は当然のごとく、彼の存在を知っており、オススメ曲を何曲も私に提示してきた。
即ち、年代を問わず、というよりは、特に男性に評判が良いのである。
それもトレンドに乗り遅れていない人からの評価が高い。
だからと言って、女性ファンが少ないのか、と言えば、そういうことはないだろう。
要するに、全世代的に男女を問わず、好感を持たれやすいアーティストなのだと思う。
それは何度も書いたように、彼のバリトンのミドルボイスが耳に心地よく、さらに彼の音楽が最近のJ-POPにはないタイプだったからに他ならない。
しかし、音楽番組に頻繁に出ているアーティストに比べれば、広く認知されているとは言い難い存在だったと思われる。
それが、紅白の出場によって、大きく認知されることになったのである。
その存在感をしっかり示したのは、単独のステージだけでなく、最後のMISIAとのコラボであることは紛れもない事実である。
彼はこの楽曲に於いて、前記事に書いたように、歌手としてのパフォーマンス力の高さを十分に示した、と同時に、彼の持つアーティストとしてのスケールの大きさを示したと感じるのである。
それは、彼の歌声がMISIAの歌声に一歩も引けを取らなかったということだけでなく、彼の音楽のスケールの大きさがMISIAの歌声を包み込んでいたからだ。
MISIAのステージを生で聴いた人ならわかると思うが、彼女のパワフルな歌声と音楽は、まるでトランペットや管楽器のように、高らかに空中に放り上げられ、歌声が自由に空間を飛び回る。パワフルでエネルギッシュな彼女の歌声は、どんなBGMや楽器にも負けないだけのスケールを持って、会場に響き渡っているのである。
ところが、彼の音楽は、彼女の歌声を包み込んで一体感のある世界を作り出しているということを強く感じた。だから音の洪水になったのであって、それだけのスケールが楽曲になければ、到底、彼女の歌声を包み込むことなど出来ないのである。即ち、彼はここで彼の持つ音楽性のスケールの大きさを示したことになる。
さらに彼の奏でるピアノの音が彼女の歌声と共鳴しあっており、そこでも彼の弾くピアノの響きが彼女の歌声に負けることなく存在感を示していた、ということを強く感じる。
これらによって、「藤井風」という歌手が、歌い手だけでなく、クリエイターとしても非常に優れた才能の持ち主であることを十二分に証明したと言える。
そんなことは当たり前だ、とファンの人は思うかもしれないが、全世代、特に日頃、音楽番組など見ない高年齢層の視聴者にとって、MISIAの名前は知っていても、藤井風の名前は知る人は少なかっただろう。
そういう人達に強烈な印象と名前を刻み込んだのである。
さらに、彼のピアノパフォーマンス、ボイスセッションは、彼の音楽人としての引き出しの多さを想像させ、今後、その引き出しから、どんなものが飛び出してくるのか、才能の宝庫であることを、あらためて認識させたのである。
メジャーヒット曲『きらり』以降、彼の音楽や楽曲になんとなく惰性感を抱いていた感覚が払拭されたのは確かなことである。
オリジナル性の確立と、同じような音楽が並ぶことの倦怠感とは、紙一重である。
ぜひ、彼には、もっと多くの引き出しから、彼にしかない独創的な世界観を確立することを期待する。
それだけの逸材であることは間違いないのだから。
メジャーデビューすると、冒険心を失いがちになる。また、事務所の思惑で音楽の方向性を決められることもあながちないとは言えない。
そういう大人の事情に惑わされることなく、自由に自分の音楽のスタンスを貫いて欲しい、と強く願っている。
今年、彼がその豊富な引き出しの中から、どのような音楽を提示してくるのか、非常に楽しみである。