MステウルトラSuperLiveでジェジュンが歌った『チキンライス』について、オリジナルの浜田雅功の歌と聴き比べてみた。
この歌の特徴は、「歌詞」が楽曲の中で大きな役割を持つことにある。
歌詞の内容は完全にストーリー性を持っており、リスナーはこの歌詞の言葉を思い浮かべながら、ストーリーの展開を追っていく形になるからだ。
そういう楽曲のテイストから考えると、浜田雅功の歌は抜群にいい、ということがわかる。
これは作者が相方の松本人志ということも大いに関係するのだろうが、言葉の一つ一つに、いわゆる味があり、説得力が群を抜いているのである。この部分においては、歌の良し悪しや上手い下手は全く関係ない。
この『チキンライス』という歌に描かれている世界観をどのように伝えるのか、という点で、浜田の歌は完璧なのである。
浜田雅功の歌がなぜ完璧かと言えば、それは言葉の表現力にある。
漫才師である彼の仕事は、「言葉」によってその世界観を伝える、という使命がある。
即ち、漫才師は、日本語の扱いにおいて天才的センスを持つのである。言葉の羅列、即ち、喋くり漫才の原点は、言葉の持つ力をどれぐらい使って世界観を提示するかにかかっている。
彼らの言葉によって繰り広げられる世界に聴衆は、自分の中でイメージを造形化し、泣きと笑いの世界に誘われていくのだ。日本語の持つ圧倒的な力を引き出せるのが漫才師である。
だから、そういう力を持つ彼が歌う世界は独特の世界観を持つ。
彼が話す言葉の一つ一つが力を持つのだ。
そうやって彼の歌は、「歌う」ということよりも「語る」ということに重きが置かれた歌になっている。
訥々と言葉を紡いでいくことによって、見事にチキンライスに纏わる楽しくて、少し哀愁に満ちた世界を具現化していると言える。
これに対し、ジェジュンの『チキンライス』もいつもの彼よりは「歌う」ということよりも、言葉の世界観を伝えるということに重きが置かれているのは確かである。
ただ、彼の場合は、やはり「歌って聞かせる」というスタンスは外せそうにない。
その為、浜田雅功の歌よりも若干言葉が流れていくのは、歌うことに重きが置かれていることによる表現法の違いということになる。
ジェジュンの日本語の歌の特徴の一つに、日本語の言葉のタンギングが挙げられる。
彼の日本語は韓国人とは思えないほど、正確、且つ、非常に綺麗に日本語を発音してくる。これは他の韓国人アーティストとの大きな違いでもあるが、彼の日本語がこれほど綺麗な理由の一つに彼の歌声の声質が挙げられる。
彼の歌声の声質は、全体的に非常に濃厚な色味の響きを持っている。昔、彼が日本でグループ活動していた頃の歌声と、この部分が大きな違いになっており、若い頃の彼の歌声の特徴である「透明感」や「無色」という響きとは違い、現在の彼の歌声は非常に全体的に濃厚な響きの歌声になっている。
この為、彼の日本語は角の取れた丸いタンギングになっているのが特徴である。角の取れた丸いタンギングというのは、S行、T行、K行などの子音の言葉を歌う時に、意識的に唇を動かして、それらの子音を立てて歌わない限り、他の言葉と並列の響きになり、言葉が埋もれてしまう、という状況になることを言う。
ところがこれがいわゆる日本人の言葉の特徴でもある。日本人が日本語を話す時、上唇を動かす習慣はない。即ち、日本語という言語は、下唇、もしくは、口角を全然使わなくても話せる、という特徴を持つ。
これは日本語が5つの単純母音から成り立っている言語であり、これが他の言語との大きな違いでもある。いわゆる曖昧母音のない言語というのは、口角や上唇を使わなくても口の下半分で発音できてしまうのである。
日常の生活の中で、私達日本人がK、S、Tの子音との組み合わせによる言葉を話す場合に、意識的に上唇を使って発音するという事はほぼ無いに等しい。
それほど、日本語という言語は、唇を使わなくても発音できる言語なのだ。
その代わり、言葉は文章の中に埋もれていき、文体に同一化する。言葉だけが明確に印象に残るという事は少なく、全体の文章の中で、私たちは言葉を判断する。
この日本人の特徴的発音と彼の日本語の発音は非常に似通っている。
流暢で日本語がネイティブに近い発音になっている彼の場合、日本語の持つ長所・短所をも日本語力が向上するのに伴い身につけてきた、ということにもなる。
そのために、彼の日本語の歌は、日本人アーティストとなんら変わりのないほど、流暢で堪能であるという特徴と同時に日本人の持つ、タンギングが曖昧、という特徴も持っているということになるのかもしれない。
これが、「歌う」という点で多くのアーティスト達が苦心するのと同じ状況に彼もなっていると言えるだろう。
この状況を改善するために、彼の日本語の歌は、K音、T音にかなり意識的にタンギングを強めにして発音する、という歌い方をしているものが多い。
彼ほど日本語を明確に発音できる人でも、「話す」ということと「歌う」ということでは日本語の扱いが異なり、「日本語を明確に歌う」ということの難しさといつも直面している、ということを以前、関係者から聞いたことがるあるほど、「日本語」という言語は「歌に向かない」言語であると言える。
そういう点を踏まえて聴いた時に、彼の『チキンライス』は全体的に丸く角の取れた日本語の綺麗な世界が浮かび上がってくると言えるだろう。
これが大きな違いであり、彼の歌の特徴とも言える。
前回の『セカンドラブ』同様、無難に纏めた、という印象を持つ歌だった。
これは、ジェジュンに限ったことではなく、今のJ-POPアーティスト全体に言えることであるが、コロナ禍の影響で、「歌う」という機会を大きく奪われた2年間だった。その為、年末を中心とした歌番組に出てくるアーティスト達の力量が全体的に下がっていると感じる。
それは、声量、パフォーマンス力などにおいて、「下手になった」「声量が落ちた」と感じるアーティストが少なくない。
以前、布施明が「我々歌手は、お客様の前で歌ってこそ、力を保つことができる。ライブがなければ、力を保つことが出来ない」という話をしていたのを思い出した。
22日のCDTVのクリスマス特番も拝見したが、確実に歌う力が落ちている歌手を何人も見かけた。
来年は、ライブが出来ることを切に願っている。