この曲に於いて、ジェジュンはある意味でオリジナルを完全に越え、「悲しい色やね」は完全に彼の色に塗り替えられている。

言い換えれば、「悲しい色やね」はジェジュン色の非常に強い曲に作り替えられていると言っても過言ではない。

これが、彼が「Love Covers II」で歌手として最も進化した姿を見せた部分だと思う。

1枚目のカバーアルバム「Love Covers」との根本的な違いがここにある。

 

 

「悲しい色やね」は上田正樹のソウルソングだ。

この曲をジェジュンはオリジナルから遠いイメージの曲に作り替えている。

これが今までの彼のカバー曲のスタンス「なるべくオリジナルの持つ雰囲気を壊さないように大事に歌う」ということとの大きな違いのように感じる。

 

上田正樹の「悲しい色やね」が持つ色調は大人のブルースだ。

成熟した男女の恋模様である。

その歌に対し、ジェジュンの歌が連想させるものはもっと青臭い。これが単なる年齢の違いであると片付けるには余りにも端的である。

彼の歌から連想させるものはロックバラード。

枯れて成熟した精神のソウルに対し、諦めのつかない熱情を持ち続けるロック。

この音楽の根本的違いがこの二人の歌に現れている。

 

ジェジュンはこの曲を歌うのに非常にハスキーな歌声を使っている。

技術的には声帯の形を横広の扁平的な形に固定し、響きのポジションをわざと喉に落とすことで、ブレスが通る時に声帯を擦ることでハスキーな歌声を作り出している。

その為、彼の歌声は全体に非常に扁平的な響きになっている。

しかしサビの部分になると高音が現れる為、ブレスの通り道はどうしても広がる。それに連れて歌声も本来の彼が持つ響きに修正され、シャウト音の最高音では、綺麗な響きの声になる。

ここが最もロック調なのだ。

 

上田正樹の歌は決してシャウトしない。

最高音であっても音を放り上げず、音が空間に開放されるのをじっと耐えてひき止まらせている。その為、非常に濃い充実した歌声になる。

それに対し、ジェジュンの歌は空間に歌声を放り上げるロックのテクニックを使っている。

これがサビの音楽の大きな違いになる。

 

また全体のテンポも上田正樹の場合はゆったりとした流れになる。

暗い夜の闇の中でゆったりとした川の流れを感じるのに対し、ジェジュンの歌はテンポが早い。

流れの早い勢いのある急流であり、明るい色調の歌声と共に昼間の川を連想させる。

これが曲全体のイメージを大きく変えている誘因と言える。

 

直接の原因にはおそらくキーポジションの違いが大きく影響を及ぼしていると考えられる。

上田正樹のオリジナル曲に対し、ジェジュンは3度ないし4度ほどキーを上げている。

これが原曲の持つ雰囲気とジェジュンの歌う曲の雰囲気の大きな違いになっていることは否めない。

 

またジェジュンの持つ歌声の大きな特徴の中にジェンダーレスがある。

即ち、彼の歌声は使用する音域によって男性的だったり、女性的だったりするのだ。

特に中音域から高音域のかかりに関しては彼の歌声は女性のアルトの持つ音色に非常に近くなる。

これが彼が女性の歌を歌える大きな理由になる。

 

「悲しい色やね」はジェジュンが歌うことで、オリジナルとは全く違う色を奏でる楽曲に生まれ変わっている。

カバー曲の域を超えて、彼自身のオリジナルに近い。

今までの彼のカバー曲は、どれもオリジナルを非常に連想させる部分があったが、この曲に関してはそれがない。

これは「Love Covers」に収録されている「チキンライス」にも同じことが言えた。

「チキンライス」で彼は完全に楽曲の持つ音楽性を正しく伝え切るという歌手の使命を果たしている。彼が歌うことで「チキンライス」の音楽性の高さをあらためて認識した人は多かった。

今回の「悲し色やね」では、彼が独自の色を楽曲に与えることで、楽曲が生まれ変わっている。別の色を与えられても十分に耐えうるだけの音楽性の広がりを持つ楽曲であることが、あらためて証明されたことになる。

 

彼は大阪弁の歌を歌うと、オリジナル性が強く打ち出されるのかもしれない。

それは大阪弁の持つイントネーションの処理を彼が独自の解釈で歌に載せることによるからかもしれない。

大阪弁を歌うことで、日頃のイントネーションから解放され、彼が持つ音楽性が加味されてくる。

 

 

数日前、「名曲を見つけた!」と言って、彼はやしきたかじんの「やっぱ好きやねん」をTwitterにあげた。

コテコテの大阪弁の歌である。

 

カバー曲であっても自由に歌える。

その自由さを彼は大阪弁の歌に見つけたのかもしれない。

 

そんな気がした。