NHKの「ライブ・エール」より氷川きよしのカバーした河島英五の「時代おくれ」を聴いた。

この曲を聴いて一番感じたのは、氷川きよしが本当にポップス歌手になったのだということだった。

それぐらい彼の歌には演歌を感じさせるものがどこにもなかった。

 

河島英五の「時代おくれ」は骨太の男臭い歌だ。

今までの彼なら低音域の続くこの歌をもっと演歌節で歌っていただろうと思う。

例えば低音部のフレーズで、きっと唸りに近い音色になっていたはずだ。

しかし、彼はそうは歌わなかった。低音部も響きを抜くという手法で処理をしており、

決して演歌調の歌声にならないように工夫されていた。

というよりは、もうすっかり演歌の癖が抜けたのかと思うほど、

彼の歌はポップス歌手そのものになっていた。

 

このような彼のカバーの仕方を聴いていると、

この人の歌声が実はポップスに向いていたのだということに気づく。

確かに「演歌歌手氷川きよし」の功績は大きく、

彼の演歌を好む人からは今の彼の姿も歌声も歌い方も違和感があるだろう。

 

しかし、この日のカバー曲「時代おくれ」は彼がもう過去の歌い方に戻らないことを暗に示唆していたように感じる。

自然な発声、ナチュラルな元々の持ち声をそのまま自由自在に操って歌う彼の姿からは、うねりやこぶしといったテクニックや造作をすっかり手放し、彼が本来持つ歌声で勝負していく、という強いメッセージを感じさせた。

カバーであっても、低音部の歌であっても、彼本来のストレートな歌声であり、演歌の折に見られた低音部の響きはない。それでもこの男臭い歌を氷川流の歌い方でうまく処理していた。

そこに彼のさらにポップス歌手としての進化を感じさせた。

そういう意味で、氷川きよしはゼロからのスタートを切ったのかもしれない。

 

彼の歌声を聴きながら、彼がこれから確立する世界は、どのような音楽の世界なのか、見届けたいと思った。

こんなふうに既存の自分を壊し、手放し、新たに構築していくという決断ができる歌手はそんなに多くない。

過去の姿や功績を手放すことほど怖いことはない。

それでも彼は進化を止めない。

そこが彼の男らしさだと思った。

 

過去の姿に拘らない潔さは、彼をさらに高いステージへと押し上げていく。

そんな気がした。