三浦大知がカバーした「未来予想図II」を聴いた。

聴き慣れたジェジュンのカバーとの対比が面白いと思った。曲は歌手の世界観によってどうにでも染まっていく。

二人の描く「未来予想図II」の世界観を書いてみたいと思う。

 

先ず、二人ともキーポジションが同じだった。

ジェジュンがこの曲をカバーして「The Covers」で披露した時、司会のリリー・フランキーさんが「吉田美和の曲はキーが高いので有名でそこが大変なんだけど、男性であの高さで歌うのは凄い」と話したキーポジション。

三浦大知も同じキーポジションで歌ってきた。

 

今回のカバーで大きく異なる点は、ジェジュンがフルオーケストラなのに対し、三浦大知はギター伴奏のみだったことだ。ギター一本の伴奏だった為に、ほぼアカペラに近いほど、声の状態が丸裸になった。現に冒頭の何小節かはほぼアカペラに近い。

この曲を作ったドリカムの中村氏の「この曲は冒頭の『そつぎょうしてから』の「そ」「つ」「ぎょ」「う」の4つの音程が非常に難しい」と言う冒頭の4つの音の歌い出し。この部分はオケでもギター伴奏だけでもアカペラになる。この部分での声、音程、それがこの曲全体の全てを決めると言っても過言でないほど、歌い出しが難しい。

この部分の歌い出しが二人では対称的な形を見せる。

 

 

三浦大知の場合、彼の持ち味であるストレートボイスは直線的な波形の響きを奏でる。この日の彼の歌声は絶好調で歌い出しの部分は綺麗なストレートボイス。真っ直ぐな響きの波形で音を繋いでいる。

この形が彼のこの曲の全体を覆っている。即ち、彼の「未来予想図II」には曇りのないストレートな響きの世界なのだ。その響きに呼応するかのように彼の歌が描き出す世界も、非常にシンプルだ。

混じり気の一切ない澄み切った青空のような青春像が浮かびあがる。

彼の「未来予想図II」は現在進行形。青春の真っ只中にある若者の気持ちをそのまま代弁するかのように、ストレートで屈託のない世界観が広がる。

ややゆっくりとしたテンポで歌い出す彼の「未来予想図II」は、この曲にも彼特有のリズム感が流れている。それはリズムの拍頭に一瞬の”間”が置かれることだ。これは彼がバラード曲を歌う時の特徴であり、この独特の”間”が私は彼の曲との距離感、客観性に繋がっていると感じる。前のめりになりがちな音楽をこの一瞬の”間”が楽曲の流れを引き留め、彼の側に楽曲を手繰り寄せる。そうやって彼は音楽の流れに流されることなく、自分のテンポ感で歌を歌っていく。だから彼の「未来予想図II」は青々とした青春の空気を聴衆が感じる時間を与えるのだ。そうやって彼は澄み切った青春のワンシーンを十分に描ききる。

十分に歌い込まれた歌声は、サビの高音部になっても掠れることなく音を紡いでいく。僅かにファルセットで抜かれた二つの音節だけが彼の表声での高音域の限界を感じさせる。表声で力で押し切って歌うことなくファルセットで抜いて納めていく手法がこの曲の終わりを感じさせるのである。

 

これに対し、ジェジュンの「未来予想図II」は全く違った世界を見せる。

ドリカムの中村氏が絶賛した歌い出しには、彼の甘いブレスが混ざった特徴的な歌声が披露される。この歌い出しに象徴されるように彼の歌声は全編を通して甘く切ない。ブレスが十分に混じった甘い歌声は、レガートに音が繋がれ、滑らかな曲線を描く。この響きの波形が、この曲全編を覆い、滑らかな音楽の滑り出しだ。

曇りのない澄み切った青空のような青春真っ只中の三浦の声に対し、ジェジュンの歌声は過去の甘い記憶を辿る切なさを伴っている。

過去を振り返り、切り取られたシーンの記憶を手繰り寄せる。それは哀愁に満ちた記憶と共に心の中にいつまでも残っているものだ。その記憶をもう一度手に取り出し、眺め、歌い出す。

彼の常に音楽に寄り添い、楽曲の中の主人公に同化しようとする手法がこの曲にも現れている。彼が歌う時、彼と楽曲の間に距離はない。楽曲の世界に入り込み、主人公の感情や体験を追体験する。彼のこの手法が、聴衆に、まるで自分もその世界に入り込んだような錯覚を与える。だから彼が歌うバラードに涙すると言われるのだ。

彼の距離感のない世界観は、楽曲の世界観そのものを聴衆の前に提示し、聴衆にも同じ世界を体験させる。

冒頭から続く彼の甘く切ない歌声は、聴衆の誰もが心の片隅に忘れ去ってしまっていた青春の甘い記憶を呼び起こさせ、ノスタルジーに浸らせるのだ。それは音楽の進行を遮らないどころか、音楽を前へ前へと促し、さらに感情の昂りを呼び起こさせ、サビのクライマックスへと誘い込む。そうやって聴衆は彼と共に青春の1ページの中に同化していくのだ。

ジェジュンが歌うカバー曲が韓国人でありながら絶賛される理由はここにある。彼の楽曲への同化が言葉を越え人種を越えて、楽曲の持つ感情の世界観を具現化するからだ。

そんな彼の歌う「未来予想図II」はノスタルジーに彩られた切ない世界である。

 

 

同じ楽曲を歌ってもその歌手の持つ世界観によって楽曲の解釈は大きく異なり、具現化される音楽の世界は全く違う姿を見せる。

その姿を見せれるのは、楽曲自体がどんな解釈にも耐えうるだけの柔軟性と立体的建造物的基盤を持つものでなければならない。さらに歌手自身が、自分の音楽、自分の世界観をしっかり持ち、具現化できるだけの技量を伴って初めて成り立つ世界でもある。

「未来予想図II」はそういう意味で、歌手のどんな要求にもどんなアレンジにも耐えうるだけの優れた楽曲であることを証明している。

 

三浦大知とジェジュンは、カバーする楽曲も被るものが多い(愛燦燦、糸など)

二人の正反対とも言える世界観の違いは、それぞれが目指し確立していこうとする世界観の一端を現しているようで非常に興味深かった。

 

どちらの音楽の世界も自由に表現が可能であり、受け入れられるだけの日本社会の成熟度を示しているようで、あらためて「表現の自由」が保障されることが、芸術の世界の進歩発展の絶対的条件なのだと思った。

 

日本の音楽市場、聴衆の成熟度は、「表現の自由」に裏付けられたものであると感じた。